三十五年目に封印が解かれた

 十五歳の美奈子は未来から自分宛に手紙を書く。そんな創作めいた作文がコンクールで金賞を得る。長崎の町はまだ暗い、坂道を五十歳になったばかりの大場美奈子は白粉っけのない表情で自転車で駆け下りる。牛乳瓶の響き合う音が目覚め始めた家々に訪れる。六時五分、死期の迫った槐多の妻・容子は徐々にすべてを知る。市役所に勤める夫・槐多と美奈子の三十五年の封印された狂気を…。同じ町に住んでいながら二人は言葉も交わさないし、目も合わせない。ただ牛乳瓶の澄んだ音に耳を傾ける優しくて妻の看病に精出す静かな夫、頑なに封じ込めた三十五年の時のある一日、美奈子は牛乳配達を終えると、スーパーのレジ打ちのパートに出かける。
 毎日、一人で朝食をとりながら新聞を広げこれはという出版広告を切り抜く。仕事を終え、街の本屋を覗く、50歳の美奈子は今の時代の金太郎飴の本棚を、それでも熱心に見遣る。画面はいつの間にか1970年の本棚になっている。(思わず、僕は身を乗り出しました。一瞬のうちに様々な背文字が僕の中に浮かび上がりました。1960年代後半から1970年代後半の書影たち)、美奈子は15歳、、あの一日、あの出来事、あの狂気は封印されなければならない。三十五年間の去勢の日々。だが、夫は去勢されてはいなかった。狂気の秘密を妻は知る。
 田中裕子、岸部一徳、仁科亜希子は好演です。モーニングショーで朝十時からだったのですが、大きなホールで八割方入場していました。そんな多くの観客にもかかわらず、一切、物音がしないのには驚きました。みんな息を潜めて映像に集中しているのがひしひしと感じられ、邦画の良さを堪能しました。映画を見終わったら普通友達同士、夫婦同士、恋人同士で、ざわめきながら退場するのですが、みんなそれぞれの想いにとらわれているのか、黙りこくっていました。
 最後のクレジットで河出書房新社の『ドストエフスキー全集・カラマーゾフの兄弟』が紹介されていましたが、この全集は全二十巻、別巻一巻で1969年、70年に発刊されてのです。米川正夫個人全訳です。
 美奈子の本棚は僕にとって懐かしい本棚でした。まさにこの時代、僕は現役の書店員として棚作りをしていたのです。八十年代のポストモダンな棚とも違う、六十年代後半から七十年代の十年としか言いようのない棚なんです。この十年が終わって僕のいた本屋は段々縮小されていく。なんかこの映画を観ていると、美奈子の本棚を通して僕の個人史と時代史がシンクロして坂道の多い長崎の町まで、十六歳まで育った呉の港町を思い出し、様々な想いが錯綜して僕にとっても忘れられない映画になりましたね。そしてあの岸部一徳の至福の微笑み、その微笑みに救われる。
 緒方明監督『いつか読書する日』は映画の醍醐味を教えてくれました。「ずっと思って来たこと、したい」/「…全部して」