古い日記

 「内田樹の誤植と自殺」(11/9)を読んだからということもないのですが、「死者の眼」から俯瞰する自分の想像上の文脈がふやけてきたのか、部屋の中は乱雑で未整理、ゴミの山に近づきつつある。先日、突発性眩暈で119番を自分でしたのですが、(丁度、同居の老母が不在だったので、二階の子機から電話したのです)救急隊がドアを叩くが鍵がかかっている。僕は二階で大声は出せるけれど、動けない、下で怒鳴っている。やっと、老母が外から帰ってきて、三人の救急隊員が二階に駆け上がって来ましたが、一体、一人暮らしの高齢者の場合は最悪ドアを蹴破るのでしょうが、そんな荒っポイ方法でなくて何かいい方法がないものだろうか、こういうとき自治会組織が有機的に活動すればいいのですが、中々個人情報のバリアがあって積極的に動けないものです。
 月一回の自治会幹事会も50人位出席するのですが、コミュニティ活動に熱心な人は少ない。地元でなく他のコミュニティ活動にコミットしていても肝心の足元の町内会行事には無関心というのが大筋でしょう。まあ、僕も他人のことは言えないのですが、「老人会」、「子ども会」は結構スムーズに活動しているのです。問題は自治会ですね。組織も大きい(家族を含めると2000人強でしょう)。ある一人暮らしの人に訊くと鍵は自治会長に預かってもらっているとのこと。
 そんな流れで部屋の中を整理し始めたのですが、新潮文庫『マイ・ブックー2000年の記録ー』を発見。これって、新潮文庫の装丁ですが、結局、「白い本」なんです。でも実体は文具扱い日記ですね。でも本として再販対象でしょう。そのことは兎も角、日記をめくっていたら、結構、本のことをメモ的に書いている。そうだ、その部分を少しづつ転載して破って捨ててしまえと思い至りました。2000年はまだ、パソコンなんて持っていなかったのです。

★2000年4月28日(金)
トーマス・マン魔の山 上』読了。倉橋由美子が病院に入院すると枕頭書はいつも「魔の山」と確かエッセイに書いていたが、やっと俺にもその気持ちがわかり始めて来た。最初は幾度も中座したが、もうハマリ込んでしまった。しかし、ちょいとの浮気で久世光彦の『卑弥呼』を読み始めてしまった。おもしろい、面白過ぎる。
■「人は自分の見たいものしか見ない」(シーザー)
多和田葉子ヒナギクのお茶の場合』

ヒナギクのお茶の場合

ヒナギクのお茶の場合