揺れる、揺れる、♪コスプレ治療

 昨日は朝起きると又眩暈で、ヤバイと思いつつ、同じ症状を経験したので、たかが眩暈、命に別状なし、壁、天井が回転するのをやり過ごして、揺れの小さい立ち位置を探って何とか立ち上がる。身体が浮いたような感じ。重心が頼りない、宇宙遊泳するぐらいの軽さになればそれも良いと思うが、ドラエモンになれない。
 そんな状況で昼間自治会の仕事をやったのですが、どうも足が地につかない。夕方家に帰っても横になるとふらふらする。座椅子に身体を預けて野球を見る。ロッテvsサムソンの戦いは楽しめました。野球はやはり団体競技なんだ、日本vs韓国のような国別オリンピックのようなものでなく、球団同士の戦いの方が面白い。ロッテが初代のアジアチャンピオンになりました。ボビー・バレンタイン監督、ソンドンヨル監督の顔はよ〜く知っていたけれど、両チームの選手の顔は殆んどわからない。でも、スピーディで試合のやりとりを読んでみたりと、野球は個人プレイの総和ではなく、チームプレイの相乗なんだと再確認しました。巨人が優勝できないウィークポイントを又、又見た気がしました。
 ☆オメデトウ!ロッテ♪
 それで、なんとか気分は良くなったのですが、トイレに行っても相変わらずふらふら感がある。そして翌朝予想通り、起き上がろうとしたら眩暈が襲って来ました。壁が左右に揺れる。振り子の時計みたい。今までだったら眼を閉じて暗闇の中で嵐が去るのをやり過ごす姿勢をとるのですが、勇気を振り絞って眼を見開いて揺れる壁を凝視しました。凝視するためには中心が必要です。それで、人差し指を自分に向かって指し示し、指先をじっと見つめました。そうすると、留め金がぴたりとハマッタ感覚があり壁の揺れも終わり、と同時にムカツキ感もふわり感もウソのように治まりました。
 『黒猫房主の語らい』でこんなことを書いています。

福田和也さんが『SPA!』で「この本を読んだら大江さんの禍々しさがよく表現されていて、とても興味深い。戦後民主主義は大江さんにとってコスプレに過ぎなかったのかと思うよ」というようなコメントがありました。 (某氏の発言)
福田和也君の「コスプレ」発言は挑発でしょう。ベタに受け取ってはいけません。
「禍々しい」のは初期作品から一貫してそうです。三浦雅士ふうに言えば「過激と静謐」が基調だと思います

 大江健三郎にとって戦後民主主義はコスプレに過ぎなかったものなら、眩暈の治癒としてベタな中心を設定することのメタファーと考えられるのではないか、勿論、治療としての効果を上げるためには任意の一点であろうと、ベタな凝視が要請される。戦後民主主義が大江の中でコスプレの装いをまとっているにしても、真剣でベタなものでなくては世界はそのまんま揺れて回転して不快のまま嘔吐を余儀なくされる。アイロニカルな嘔吐に耐えるにはそれ相応の覚悟がいりますねっと、今は眩暈が過ぎ去って快の状態で一日遅れのブログを書きました。人差し指がコスプレの代用になったみたい。トンボ取りの逆応用でした。

さようなら、私の本よ!

さようなら、私の本よ!