夢で会いましょう。

宮沢賢治詩集 (岩波文庫)

宮沢賢治詩集 (岩波文庫)

 保坂和志さんのweb草思の『教養の力』でこんなことが書いてありました。

宮沢賢治の詩のこういう一節に出合った。「生徒諸君に寄せる」という詩の一節だ。

衝動のやうにさへ行はれる
すべての農業労働を
冷く透明な解析によって
その藍いろの影といっしょに
舞踏の範囲に高めよ

 僕は街の商店主の息子で職と住が同じで必然的に店の手伝いもさせられる。マツダの三輪トラックも乗りましたね、農作業に縁がなくともこの詩が美しいと実感できる。働いている人々も職にあぶれて少年たちと中学校の校庭で草野球に興じる沖仲士のあんちゃんたちも奇妙な明るさがあった。テレビはまだ、僕の家にはなかった。一家で見るようになったのは、生家が倒産して大阪に引越してからである。夕食後、チャンネルをひねったのは、中島弘子でしたね、小首を傾げて、「夢で♪会いましょう♪」
 ザ・ピーナツ、坂本九、九重祐三子、中尾ミエジェリー藤尾坂本九布施明、中村八大、永六輔、NHKの番組でした。「上を向いて歩こう」は1961年なんです。夢で会いましょうは白黒だったんだ、僕は高校生。舟木一夫の「高校三年生」は1963年、東京オリンピックが1964年、西岸良平の黄金の昭和三十年代ですね。そして今思い起こすと、中学生頃、「文藝春秋」を毎月読んでいるのですね、オヤジが定期購読していたのです。街の商店主であっても、ちゃんと読んでいた。ちょいと、街のインテリは岩波の「世界」ですか、総合雑誌、まあ、教養雑誌でしょうね、地方でも売れていたのですね。
 僕なんか、高校、大学、社会人になって「文藝春秋」は読まなくなりましたね。自慢にならないのですが、1964年以降、専門書を除いてマットウに本を読まなかったですね。読み始めたのは40歳を越えてからですね、20、30代は僕の教養は物凄く劣化していたことは間違いない。
保坂和志web草思『途方に暮れて、人生論』を読むと、最後に素晴しいフレーズを投げてくれる。
「夢を見る。——これこそが、教養の力なのだ。」
博識と教養は違うと思う。博識って時間軸の知識であるけれど、教養って「場を読む」というか、寄ってたつところは空間だと思うんですよね、だから夢の力、僕は教養人に惹かれるけれど、単なる博識の人に惹かれない。 何だろうなぁ…?と疑念がありましたが、保坂さんのエッセイで、そうなんだ、博識でなく、教養なんだと思いました。

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