野町和嘉「地球巡礼」  

kuriyamakouji2006-02-18

 京阪電車に乗って久し振りに守口に途中下車しました。京阪百貨店守口店7階で野町和嘉写真展『地球巡礼』があったのです。野町さんのトークも聴くことも出来ました。チベット、メッカ、サハラ、エチオピアアンデス、インドなど、人々の祈る姿をカメラにとらえています。「祈ることが仕事」なのです。「生きることが巡礼」なのです。イスラムの人々のあまりに美しい明るい表情に圧倒されます。祝祭が日常なのかなぁ…と思ってしまう。
 野町さんは「21世紀は宗教の世界でもある」と言う。五人に一人がイスラムなのです。欧米を中心としたグローバリゼーションとどう折り合いをつけるのか、でも富の分配を公平にやりくりする手立てをすれば、宗教による紛争は沈静し、解決出来るはずだ。分配の問題なら合理的な折衝は可能だ。その問題を先送りしたいがために宗教を持ち出して益々混迷の泥沼に追いやろうとしている悪意の人々がいるのだと思う。富の分配が公平でないから軋みが生じる。貰いすぎの人々がその攻撃の刃を自分の方に向けさせないために宗教問題にすり替えて永遠に続く紛争種をばら撒いているのでしょうか、
 それから京阪電車に又、乗って、淀屋橋に行って御堂筋を歩き、ジュンク堂梅田ヒルトンプラザ店での「風の旅人」の編集長佐伯剛×野町和嘉トークイベントに参加。昼間の延長戦上で佐伯さんを交えて話を聞きましたが、質問タイムで聞きそびれましたがベナレスでの死を待つ人の写真が撮れたという、そのことをあっけらかんと許すということ、
 死と生とが、同じ地平に混じりあい、人も牛も、死体を喰らう犬も同じ地平に暮らす円環の輪廻転生と2000〜3000もあるというカースト制度とどのような折り合いがついているのか、近代社会にないカースト制度の利点はなんだったのか、近代化を阻む悪い制度だから、捨てていいものだろうか、ひょっとして近代を乗り越える何らかのヒントがないか、近代化の徹底が地縁、家族、共同体を窮地に陥れたのなら、それでない選択肢もありえるということだ。
 偶々、宮台真司MIYADAI.comを読んでいたら、【人間が(人間)であり続ける必要があるのか】の項で、クリフォード・D・シマックのSF小説『The City(都市)』を中学生の頃読んで大泣きしたと言うのです。
 舞台は二万年後の地球で文明化した犬が戦争のない平和な社会を経営しているのです。この犬社会には犬の創造主で戦争をし続けた「人間」の伝説が語り継がれているのです。ここに問いが発生します。「かくも不完全な「人間」が「犬」という完全な存在を作れるだろうか」という疑念です。犬たちの大半は伝説の真実性を疑っています。その伝説の中身は「人間は〈人間〉的であるには不完全過ぎる自らを自覚し、生来の〈人間〉性を持つ犬に遺伝子操作を施して地球を譲り、自らは〈人間〉的たらんとする目標を放棄して木星に旅立ち、外形も感受性も異なるアメーバ状の「別の存在」になった。 」というのです。それから二万年後、今の犬社会が出来上がったのです。中学生の宮台さんは『〈人間〉的なものを追求するなら、人間ではない存在──犬やイルカやロボットなど──に〈人間〉の道を譲り、自らは滅びた方が良いかもしれない……。』と泣いたというのです。
 「〈人間〉はそもそも人間によって構成されなければいけないのか」という問いがある。僕と言う人間が(人間)を引き受けるのはとても厄介です。ある猟奇的な犯罪が起こる。「(人間)ならこんな犯罪は引き起こさない」と言う。でも、犯罪者は括弧なしの生身の人間であることは間違いない、脱社会化された人間であろうとも、動物化として命名しようが、人間に間違いない。そりゃあ、(人間)でないかもしれないが、人間/(人間)で仕分けてもなんら問題の解決にならない。町内会で子供たちに挨拶運動と提唱している一方で見知らぬ人には挨拶しないで気をつけてみたいな指導もしている。知っているヒトが、性善説のヒトが(人間)で、見知らぬヒトが、性悪説のヒトが人間なのか、そんなややこしいことは大人でも混乱する。
 野町さんのベナレスで死体を喰らう犬の写真ですぐ近くを日常的に人々が行き交っているとの話を聞きながら、こんな風なことを思ったのでした。日本では自殺者の数は年間三万人を越えるのではないですか、でも殺人の件数は他国と比べて特段に少ない。ただ猟奇事件が目立つ。野町さんの話ではイスラム社会では自殺は厳しく禁じられ、地縁、家族、又喜捨の精神が生きているから孤独死なんて考えられないと言う。豊かになることで手に入れたものが孤独死だとは寂しいね。まあ、確率論的に言えば殆どの人が病院死ですが、家族に見守られてベナレスの末期の家での逝き、後は肉の一切れなりとも犬に喰われ、又はチベットの鳥葬で、山田風太郎風で「コレデオシマイ」と幕を閉じたいものです。
 そんな徒然を野町さんの写真展で思ったのですが、写真そのものに対峙しなくてはいけないですね。どうしても言葉で見る悪癖が僕にはあります。言語化すると不安が慰撫されるのでしょうか、

地球巡礼
地球巡礼
posted with 簡単リンクくん at 2006. 2.18
野町 和嘉写真・文
新潮社 (2005.10)
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