ホームレスな公共圏へ

 ぴぴさんの「『M 世界の、憂鬱な先端』(2)、及び 『限界の思考』 」を読んで、
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>そのときは…おれたちがいるじゃないですか。【A】
>若者達の日常への不明不満や「超越系」の人々のエネルギーの矛先を意図的に「ナショナリズム」へと向け、「アジア主義」へと収斂させようとしている。【B】
ブログに書いたことでもあるのですが、『ミュンヘン』、『ホテル・ルワンダ』の拠所はホーム(家族)でしょう。
でもそんな拠所のないホームレスな若者たち(まあ、若者でない人たちもいますが)に【B】の受け皿は強烈な磁場があると思います。
僕はそうではなくて【A】の道があるではないかと言いたいわけですよ、そのためには近代国家を超える公共圏をイメージする必要がある。

 とコメントしたのですが、字数制限(250文字)もあるし、前日の話の流れもあるし、こちらにゆるりと書き繋いでみようと思う。ず〜と、前から思っていたことでもあるのですが、ホーム(家族)レスは若者問題であると同時に老人問題でもあるわけですよ。
 ぴぴさんの言う文脈で宮台さんがあえて、「ナショナリズム」、「アジア主義」へと収斂させようとすれば、宮台さんの複雑回路でなく思考停止回路で排他的なホームとしての国家に回収されてしまう危険がある。そのことを北田暁大大澤真幸は危惧しているわけでしょう。
 そのような回路に接続しないで公共圏に繋げる政策として、宮台さんは若者の徴兵制問題について言及していましたが、僕はそれを若者問題でなく、老人問題として考えられないかと思っているのです。例えば、56歳〜65歳まで、男女を問わず、原則、職業を問わず、10年間の内、3年間は徴兵のようなシステムで公共圏に奉仕してもらう。そうすれば、天下り問題、年金問題の解決にもなるし、市場原理で動く労働市場は55歳以下で回り、働きたい気があれば若者たちに思う存分働いてもらう。56歳以上は市場から離れてもらうわけ。
 そのような国家を超えて奉仕する年寄り達を見て、単純に身も心も思考停止で「国家」に依存する病の免疫効果を期待できると思います。自衛隊を補完する老人民兵のような制度と紙一重ですが、国連なりがそのようなシステムを立ち上げれば国を越えた老人奉仕隊として様々な知恵のある施策が行えるのではないかと思います。と、かような春の夢を語りましたが、こんな切り口で老人問題を考えてもいいのではないかと思います。
 社会問題の解決糸口を短絡的に若者に結びつけるのではなく、老人問題にメスを振るえば具体的な料理方法があると思う。生き生き戦う、シルバーライフですかね(笑い)。
 老人には無為な時間が沢山あります。でも、無為な時間は若者にとって貴重なものなのです。僕が一番、怖いのは、思考停止の若者が沢山、この世に現れることです。
 無為が考える若者を育てます。考える想像力がないと他者とつながりません。年寄りに出来ることはそんな考える若者を一人でも育てることでしょう。そのために目に見える実践として老人奉仕隊のようなものを僕なりに考えたのです。他にいい考えがあれば教えてもらいたいものですね。