希望の国家論というトークセッション

kuriyamakouji2006-03-12

 紀伊国屋書店梅田本店企画の阪急ターミナルビル17階で立岩真也×稲葉振一郎トークイベントがありました。PM1:30〜5:00までたっぷりお二人のやりとりを聞きました。会場の都合で打ち切りになりましたが、、お二人のあの調子ではエンドレスに続いても不思議ではないですね(笑)。
 演題は『希望の国家論』でしたが、「希望ないし、国家に」中々言及しなかったのですが、その前段階で「フェアネス」について色々問題を投げかけてくれました。国境を越えた再分配の問題にしろ、扱う問題が大きすぎて僕はお二人の話についてゆくのに苦心惨憺でしたが、最後に稲葉さんが提示したノージックの『最小国家』とロールズの『正義論』は一見ノージックの方がローカルでロールズの方が普遍性を帯びているような感じがするが、そうではなくて、ノージックの根幹はたった一人でも成り立ちうる私的所有をから出発しているが故に普遍性をもって開かれている(それは恐らく人権なり自然法を自明のものとして定位している)。ロールズの方は他者との関係性の中で規範を構築し、民主制とは多数を根拠にするからその限りにおいて普遍性はなくローカルで閉ざされている。その行き止まりの閉塞をロールズは超越論的な視点で普遍を勝ち取る。まあ、そのロールズの超越系どういうものかは僕にはわからないが、ただ、民主主義が単に多数を拠所にするしかないならば、ローカルなものでしかないだろうということはわかる。
 このあたりの問題になると、学生時代勉強しなかった僕でも憲法学者の田畑忍(土井たか子の指導教授)の憲法講義で彼が言った「憲法は改悪は有り得ない」、だから、第96条の条文[憲法改正手続き]は改正の条文であって、改悪の条文ではない、だから例え三分の二以上の賛成でも国会は発議出来ない、その時学生が先生に96条の手続きを踏んで国民の過半数の賛成を選ればそれが改正になるのではないかと、最もな質問をしたのに、いやそうではない、改悪は認められない。恐らく違憲立法審査権と民主制の問題だと思うが、物凄く悩ましい問題が横たわる。
 民主制を子供たち、次世代まで勘定に入れた、国境を越えた他者までリーチが届けば(恐らくそれを勘定に入れたものが超越系なのでしょうか)、例えば欧米だけのローカルな民主制ではなくより普遍性を持つであろう。違憲立法審査権の方はその拠所を自然法的なものに定位するのか、『最小国家』におけるレフリーが「フェアネス」をルールにするのはわかるがその作業はどのようになされるのか、僕には難問し過ぎます。
 ただお二人の先生方が了解した市場経済をトータルで維持しむしろその徹底でもある著作権をはじめ全ての財の相続を認めないってのは、もし実現できたら、「フェアネス」の解決の筋道が明確に立つでしょうね。この戦略ならわかりやすいし、普遍性がある。ただこれも国境を越えたグローバルなマーケットでやんないと、実効性がない。相続を認める国に財が流れますからね。
 何か生半可なことを書きましたが、お二人のトークセッションはNHKブックスで発刊される予定なのでちゃんと読んで復習いたします。
 会場で稲葉さんが盛んに言及したテキストは新刊で発売されたばかりの『マルクスの使いみち』です。立岩さんは『自由の平等』のー第三章「根拠」についてーです。
オンライン書店ビーケーワン:自由の平等オンライン書店ビーケーワン:マルクスの使いみちアナーキー・国家・ユートピアオンライン書店ビーケーワン:公正としての正義再説
 追記:メルの本棚のメルさんも会場にいたのですね
勿論、黒猫房主さんもいらっしゃいました。2006-03-16 - シャ ノワール カフェ別館