労働/舞踏

ネオリベ現代生活批判序説
 ◆現代歌人枡野浩一日刊ゲンダイで書いている読書日記なのですが、『途方に暮れて、人生論』について「ネット時代のプロとして食い続けるために僕らは…」という歌タイトルでアップされていました。保板に連日、枡野さんのカキコがあってこの記事を知ったのですが、枡野さん自身は前もってネットアップされていることを知らなかった。僕はいつも思うのですが、ライターと新聞社なり版元との関係はどうなっているんだろうと、ケースバイケースで、個々バラバラなんでしょうね。
 ところで、前日、「教養の力」について書いたのですが、教養ってあまりに折り目正しい言葉なので、僕に似つかわしくない言葉で何か良い言葉がないかなぁ…と思うのですが、思いつかないですね。具体的に言えば、先日、見た映画『ヨコハマメリー』のメリーさんはまさしく教養人に相応しい。ならば、その対極に位置するのは誰だろうと思っていると、マイミクさんが、杉村太蔵の盗作問題について書いていた。そうか、良くも悪くもアッケラカンとした底抜けのセンセイがいました。*1
 別にメリーさんが倒錯っぽい白塗りだからと言って杉村さんを思い浮かべたわけではありません。でも、かって本屋の店員として言わしてもらえば、メリーさんは読書人であり、教養人でした。
 ◆kwktさんが池袋のジュンク堂で開催された生田武志氏、白石嘉治氏、杉田俊介氏によるトークセッション「野宿者/ネオリベ/フリーター -アンダークラスの共闘へ-」のレポートをアップしていますね、生田武志氏『<野宿者襲撃>論』杉田俊介氏『フリーターにとって「自由」とは何か』、白石嘉治,・大野英士編『ネオリベ現代生活批判序説』の三冊がテクストですが、保坂和志さんがこの『途方に暮れて、人生論』で『ネオリベ現代生活批判序説』について書いていることを思い出しました。

 その「ネオリベラリズム」によって生じている歪みを、政治・社会・文化の多方面から批判的に検討しているのがこの本で、その中で樫村愛子さんという社会学者がひじょうにいいことを言っている。以下、要点をまとめる。
 「いまの学生は、心理学・精神分析に関心を持っているけれど、彼らの関心は、昔の学生が哲学や文学に持っていた関心と同じものである。彼らの関心は表面的には科学的なものだが、実態はそうではなくて、ある種形而上学的で人間的だ。また、一般に彼らが資格など実用的なことに関心を持っているように解釈されているけれど、根底にあるのはもっと倫理的なものである。
 このような意味で、哲学・文学・歴史など文学部的なものに対する学生の側の需要は実際には大きい。大学教育から文学部的なものをなくしていこうとしている現在の風潮とは逆に、大学が文学部の存在意義を再認識して、心理学・精神分析・福祉に向かっている学生の欲望を汲み上げて、再編成することが必要だ。ネオリベ的な世の中だからなおさら必要だ。文学部的なものを潰すのは、学生の真の意味での教養を求める芽を潰すことになる。今後の日本社会を担える可能性が、ここにはいっぱいある。」
 現代社会は。?規律型権力?から。?監視型権力?に移行した。権力(国家・巨大企業etc.)にとって主体を育てること(つまり教育)はコストがかかるのだが、監視型権力のもとでろくに主体として育たなかった?マック的主体(マクドナルド化した主体)?は流動性の高い社会において、いいように翻弄されてしまうだけの存在だから、権力の望むところとなる。
 しかし人間は。?マック的主体″だけで生きていくことはできない。職場では。?マック的主体?にさせられていても、仕事を離れてもなお。?マック的主体?でいることは、人間として不可能だ。
 現代は資本の回転が速く、商品の中に情報が蓄積されなくなり、物語はますます一過的になる(つまり、ブランド信仰すら前世代のものになりつつある)。それに対して、学問や知は積み重ねていくことができる。そこには安定した喜びがある(しかしそれを形成するためには忍耐が必要なのだが)。その喜びを?享楽?と言う。現代人は刹那的な快楽を求める傾向が強いが、快楽はすぐに飽きてしまう。享楽は飽きることがない。
 実用的な教育ばかりになると、実際には社会に対応しきれない人材しか生まれない。コンビニのアルバイト店員だって、総合的に判断して業務をおこなっているわけで、それは一定の教養を身につけているから可能なのだということを忘れてはいけない。」(190〜191頁)

 要は人間を支えているのは教養であり、教養の中核になるのは、文学・哲学だと樫村愛子さんともども言っているわけ。
 保坂さん自身の言葉で気に入ったのは「音楽や絵画によってもたらされるインスピレーションによって世界を予感するように、労働が世界についてのインスピレーションを人に与えてくれる可能性はないのだろうか?」

*1:杉村太蔵議員が吉野敬介『やっぱりおまえはバカじゃない』の著書からブログで一部盗用の謝罪(毎日新聞5/24記事)