60、70年代の書店風景、そして80年代 

 鉄人とはほど遠い軟弱な男?だと思いますが、bk1書評鉄人列伝35番に選ばれて紹介記事とともにアップされていますが、何か言い足りないこと、気恥ずかしさを糊塗する作業を少しやってみます。
 60,70年代に書店員をやっていたわけですが、その当時と今との最大の違いは全国紙A社の書評欄の圧倒的な力であったでしょう。何曜日だったかなぁ、月曜日?記憶が定かでありません、とにかく週間、月間にしろ、掲載された書評の新聞切り抜きを持ってお客様が来店するのが定番の読書人風景だったのです。店長は朝礼時に必ず、A新聞に掲載された本がどこに陳列されているか、ジャンルを越えて全社員、アルバイトで確認しました。そうやって対応したのですが、問題は商品の確保です。新聞掲載記事を見てすぐに版元に仕入れの電話をして指定注文(取次でなく版元の営業担当者に数量の交渉をして自店分として送ってもらうのです。)するわけ。
 でも、思うように商品の確保が出来ない、そりゃぁそうでしょう。全国の書店が同じような行動をとるわけですから…、他店に先駆けてとなると、いち早く書評掲載予定記事を知る必要があります。日本経済新聞の記者がインサイダー取引で逮捕されましたね、印刷媒体の情報は印刷、発送とどうしても一日ぐらいのタイムラグは生じます。この一日は大きいのです。それで、仕入れ担当者は一日でも早く予定稿の記事を確保する必要性が出てくる。書評を見てお客さんが本屋に行っても「本がない!」状況はその本の売り上げを逃すだけでなく、店自体の信用にかかわります。だから、話題になった本、書評で取り上げられた本が品切れになった場合、僕のいた書店の取次はトーハンで、ライバルであった地元のY堂は日販で、二大取次の代理戦争の趣もあったから、時には図書券を持ってアルバイトにY堂で品切れになった本を赤字覚悟で購入させる芸当をせざるを得ないのです。でも、流れが段々とA社の書評欄の予定記事情報が掲載される一日前に届くようになった。一日前でも取次の店売倉庫にある可能性が高いですから、確保出来るわけです。でも、都内の書店、大書店で専属の取次社員(各本屋の出向社員のようなもの)が居ればともかく、地方の書店、中小書店では情報をもらってもなかなか即対応出来ない、そもそも、前もっての情報をもらっていなかったのではないか、情報格差が生じている。
 でも、実際版元指定で送品されても次の書評が掲載される次の週迄に本屋に届く確率も低い、その書評が説得力があって持続すればいいですよ、玉突きのように色々なメディアが取り上げ始め、売れ始める、そんな幸福のスパイラルは滅多にない、往々にして、不幸なスパイラルが生ずる可能性が高い。大新聞、メディアに取り上げられる。特に中小の版元はここぞとばかり打ってでる。A社の書評欄に掲載されたとたん、その日、電話は鳴りっぱなしで、全国の本屋さんから指定配本の注文が来る。急遽、大増刷を決定する。でも、増刷にも時間がかかります。この期間、新刊配本で全国の本屋さんに配本されているから、暫く様子をうかがって検討するのがクールな対応ですが、当時、今のように版元で取次経由の新刊であろうとも注文指定配本制度がちゃんと構築されていなかったから、委託制度による返品の危険性があるにもかかわらず、思い切って増刷するバクチを打つ版元が多かったのです。
 その結果、資金繰りが二進も三進も行かなくなって倒産とあいなる。当時、ベストセラーを出し続けたノーベル書房の倒産劇はそんな経由だったでしょう。しかし、河出や筑摩も倒産劇に見舞われましたが見事に立ち直ったでしょう。それは読書人達による圧倒的な支持があったからです。古典、ロングセラーを核とした目録が筑摩や河出の最後の拠り所になり、読書人達が支え、僕も強烈な印象がありますが、本屋さんで例えば「筑摩書房フェア」の棚が方々で設けられました。「良い本を出せば、何とかなる」と言った希望を与えてくれましたが、今でもこの言葉は通用すると思う。ならば、良い本とは何かが問われますが、「良い本」とは風の旅人とさんが言うように「中立公正」なものでなく、出版人の自分なりのバイアスに対するこだわりで、そのような意味で癖球を要請する世界だと思う。
 そんな流れの中でやがて肝心のA新聞社の書評神話が崩れて行く。80年代に入ると、新聞の切り抜きを持って本屋を訪れるお客さんがめっきり減ったと、(もうすでに、僕は本屋さんをやめていました。でも時々OBとして遊びに行っていたのです)、店長は困惑していました。まあ、そのような状況の中でリブロ池袋店が専門書の売り上げが前年度対比40%増という奇跡を成し遂げ、本は一点でなくつながり、曼陀羅、今の言葉では「リンク」でしょう。そんな「棚の思想」を提唱して「今泉棚」の神話が80年代を駆け抜けました。小田中直樹さんの宮沢章夫の『80年代「地下文化論」講義』についてのまとめによると、セゾングループは新人類に近かったらしいですが、『書店風雲録』の田口久美子や、ソネさんのように現場にどっぷりと浸かった80年論を聞きたいですね、いまだに現場の店長として頑張っている今泉正光氏にも書いて欲しいと思います。保坂和志さんも西武百貨店のカルチャースクールの担当をなさって「80年代」を刻んできたので、保坂さんなりの80年を聞きたいです。もう今はセゾン文化なんてどこに行ってしまったんだろうか?そのことに関する論考を永江朗さんあたりが書いて欲しいなあ、インタビュー集でもいい、上に紹介した人々+浅田彰…、田中康夫糸井重里…とか、つづく…