婆(爺)クラッシュ!?

kuriyamakouji2006-08-09

 武田徹さんのオンライン日記(8/8)『バックラッシュ非難』の記事を読むと、切実さから発信する記事に対して僕は鈍感になっているんではないかという反省を覚えるが、実感として想像が届かないところがあったことは否めない。双風舎の『バックラッシュ!』を読む前にバックラッシュという言葉を知らなかったのですから、読者共同体の内と外との葛藤という問題意識は端からなかったです。
 宮台真司×北田暁大の『限界の思考』のようにメインターゲットは都市部の大学院生に留まらずリーチは外(都市部の「弱者」)へと届き(実際はそのような読者も本を購入したわけですが、その一人として赤木智弘さんは本書に対して異論を呈したのですが…)、自分の日々の暮らしの生き様と本書を直截に角突きあわせた慟哭は理屈ではアクセス出来ない。
 宮田清彦さんの『お便り(双風舎御中):読者共同体のあり方/双風舎 谷川茂様』は僕にとっての切実な問題、外とは何か、を考えさせられました。双風亭のコメント欄に、オヤジギャクで『婆(爺)クラッシュ!』の出版企画を立てて下さいと書いたのですが、「老人問題・介護問題」についての本を読みたいです。*1それは恐らく「若者問題」とリンクした連立方程式の問いでしょう。僕にとってネタでなくベタな問いです。
参照:http://macska.org/article/147
http://www.journalism.jp/t-akagi/2006/07/post_136.html
http://www.journalism.jp/t-akagi/2006/07/post_138.html
http://www.journalism.jp/t-akagi/2006/07/post_142.html
追記:宮田清彦さんからのコメントレスを本文に掲載します。

宮田さん、どうも、はじめまして、
>売れる本を作るためには「メインターゲットを批判してはいけない」と言われてきました。
>しかし、「バックラッシュ!」は、メインターゲット=読者共同体の外にも訴求する力を持っています。たいへん、僭越な感想ではありますが、だからこそ内と外とのバランスをいかに取るべきなのかを考える必要があるのではないだろうか、というのが感想です。

 このことに関して森達也の『A2』について考えました。映像という違いがあるけれど、最初から明確な立ち位置があったわけではないと思うんですよ、撮る行為のプロセスでオウム信者達に肉迫する段階で徐々に彼らの内に入り込まなくてはならない、監督が真摯であればあるほど、「感情」がこみ上げてくる事態が発生する。それを汚染とみるかどうか、しかし、表現者はそのような汚染は表現するに必要不可欠なものだと思うのです。先に結論ありきで、正邪の二分法で断裁する愚は避けなければならない、でも、そのような認識は双風舎の谷川さんは勿論、『バックラッシュ!』の豪華執筆陣にはあったと思うのです。それは間違いない、だからこそ、加害/被害の二分法でなく、むしろ戦略的に加害者証言を引き出そうとする仕事をかってカンボジアで谷川さんはなさったのでしょう。森さんはオウム信者に感情移入する領域に足を踏み入れたし、「オウム出て行け!」っていう番小屋を建てて運動を起こしている現場の最前線の町内会のおっちゃんたちが次第に最初と違って、オウム信者達の個々の顔が見えるようになった位置移動を丁寧に映像化する。。
 赤木さんはそのような「現場」を見てくれという叫びを発信したと思うのです。だが、「現実」とか「弱者」とかいう言葉はそれ自体とてもイデオロギーシュな言葉になってしまい、macskaさんの説得力ある言葉に追求される。僕はmacskaさんの論述にもの凄く啓発されましたよ、でも赤木さんの言及には啓発されませんでした。お互いの土俵が違うんです。
 赤木さんのは「叫び」です。そう言えば、この赤木さんのエントリーを紹介してブログアップしたら、メルさんから僕宛に痛烈な批評の記事がありました。メルさんはアカデミーの場に長年いながら、働く場所がなかなか見つからない、そのような自分自身の実存を抱え込んでいる立ち位置から赤木さんのエントリーに感情移入し、僕の「叫び」のない記事に反発したくなったのでしょう。
 僕のことを仲正昌樹の読者でありながらと批評をしてくれました(笑)。そう言えば、双風舎仲正昌樹さんの関係はどうなったんだろう、《そもそも氏は仲正昌樹氏の本の読者にもかかわらず、他人に依存しない思考を唱えること自体おかしい。結局他人に依存しない思考など、無理なのではないだろうか。「女に依存しない」「他人に依存しない」思考の構築など独善的だし、ただの妄言としか思えない。》ということをメルさんは書いているのですが、
 http://d.hatena.ne.jp/merubook/20060712/p2
 僕自身、そんな風に受け取られたのかと心外で、まあ、それはメルさんの読みで、もし僕がそう言ったのなら、妄言ですね、そうとしか返答のしようがないので、反論しなかったのですが、僕は逆に「他人に依存する思考」について考えて来たし、そういう強い思いでブログを立ち上げたのは事実です。『千人印の歩行器』というネーミングの所以にもそのことを書いたことがあります。千人の人達の出会い、言葉に押されて歩こうと思うと。いまだにメルさんの読解が霧の中ですが、それはある種の汚染された「情」で僕のエントリーを読んだという、別のシーンを想定しましたから、反論しなかったとも言えます。そこにメルさんの生き様が見えたからです。赤木さんにもそんな生き様が見えました。だから反論出来ないのです。

 まだ、言い足りないないことがあるような気がしますが、取りあえず、ここまで、ひょっとして続きを又別の日に書くかもしれません。
双風舎さんより「バックラッシュ!」の萌える画像が紹介されていました。
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