宦官制度について考える資料?

 バックラッシュ論争の中で「弱者男性」というトピックで、常に去来していたのは「去勢」についてでもあったのです。赤木さんの文脈とあまりに違うから言及しなかったのですが、前にもてるてるさんと宦官についてやりとりしたことがあります。このブログそのものも、過去エントリーで去勢について結構語っているのです。そして、相変わらず、内分泌療法で通院しています。ところで、佐藤優の『自壊する帝国』を読んでいたら、本筋とはあまり関係ないなのに、どうしても引用付箋したくなった頁がありました。

 カトリック教会の聖職者が独身制をとっていることは有名だ。プロテスタント教会は、地上に聖なる入はいないと考えるので聖職者という概念はない。従って、聖職者ではなく教職者(牧師)という。牧師は結婚して家族をもつことができる。一見するとカトリック教会は非近代的な囚習に凝り固まっているように見えるが、実は独身制には合理的根拠がある。
 先ほど、ロシア正教会が信者からの寄進だけで巨大なホテルを建てたことについて述べたが、教会自体も強大な権力と財力を待っている。カトリックが独身制を固守するのは、聖識者がこうした富や力を子供に継承することを望み、そのため家族という要素が教会の意思決定に影響を与えるようになることを恐れているからだ。
 中国やオスマン(トルコ)帝国の場合、去勢制つまり宦官制度を設けることで、権力が集中する官僚が生物的に後継者をもつことができないようにした。カトリック教会の場合は生物的去勢は行なわなかったが、聖職者を社会的に去勢したのである。神父が女性とセックスし子供を作 ることかどんなことだったのかは、中世恋愛文学の代表作『アベラールとエロイーズ』を読めばよくわかる。神父で神学者のアベラールはエロイーズを孕ませ、子供まで生まれるが、それに憤ったエロイーズの一族によって急所を切り取られてしまう。これは史実だ。
 神父か子供をつくることは、現在もそれほど珍しいことではない。ただし、神父である限り子供はいないという建前になっているため、権力や利権をもった聖職者のポストを子供に与えることはできない。社会的に聖職者の権力は一代限りとなる。
 これに対して、ロシア正教会では司祭(神父)をキャリア組とノンキャリア組に分ける。
 独身制を誓い、黒い儀式服を着る修道司祭はキャリア組で、黒司祭と呼ばれ、修道院長や府主教、総主教になる。これに対し、結婚し、家庭を設け、民衆の中で生活する在俗司祭の儀式服は白いので、白司祭と呼ばれる。正教会では白司祭内におけるトップの地位と黒司祭の最下位職が同じレベルというキャリア制度を敷いている。
 信者の家庭的な悩み事の相談に応じるためには、家庭をもっている神父の方が現実感覚がある。一方、教会の上層部や神学者は、生活に煩わされず、教会政治、研究活動に専心することかできる、このように、正教会は司祭を二分することで、組織機能を最大限に活用することができる合理的な制度を作り上げたのである。(228〜9頁)

 宦官制度って検討するに値する優れものなんではないかと思いました。
オンライン書店ビーケーワン:自壊する帝国