猫の経産婦?

タマや (河出文庫)ノラや (中公文庫)反橋・しぐれ・たまゆら (講談社文芸文庫)オンライン書店ビーケーワン:父が消えた社会学入門―人間と社会の未来 (岩波新書)
 ↓のエントリーで坂東真砂子さんの「子猫殺し」から金井美恵子さんの「タマや」について書いたのですが、e.t.さんから詳細なコメントが来て、それで、丁度、ここにアップしている猫画像の文庫版でない、初版(講談社 1987年)で、山田宏一さんが撮ったというアンナ・カリーナの写真をカバーに使った素敵な単行本が図書館から借りることが出来ましたので、前回引用した坂東さんを支えるアレクサンドルの意見(新聞の論壇時評から)とは違った「中絶を肯定する」意見をエントリーとして引用アップして料理しやすいようにしました。叩き台の資料にして下さい。
 参照:http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060922k0000e040085000c.html

……きみは富岡多恵子って知ってるかなぁ、と言うと、知らない、とアレキサンドルが答えたから、そういう作家がいるんだけど、と言うと、それはメジャーな作家かよ、ときくので、もちろんそうさ、で、彼女が書いていたけど、猫の経産婦って、仔猫を産むたびごとに、眼に見えておとろえて行くんだよ、人間の経産婦も昔は何人も何人も子どもを産んだから、その分胎児や子供に栄養を吸い取られて、早くふけちゃったわけだよ、猫だって同じで、胎児に栄養を吸い取られ、仔猫にはお乳を吸い取られ、一回産むたびに、腰のあたりなんかゲッソリやつれて、毛並みも艶がなくなって抜けちゃうしね、身体もすっかり弱って、彼女が飼っている猫じゃあないんだけど、近所の野良のメス猫がね、相談にやってきたんだって。猫が相談にきたの?と、アレクサンドル。もちろん、不妊手術を受けたいと思っているけどどんなもんだろうかって言ったそうだよ、で、富岡多恵子としては、もっともな悩みだと思ってね、やっぱり受けた方がいいって答えて費用を出してやったんだってさ。
 うーん、とアレクサンドルはウズラの骨を銜えたまま考え込み、それは猫の意志なんだね?猫が、手術を受ける、と言ったんだね?と念を押し、隣りのテーブルの若い男と女がヘンな顔をして彼の方を盗み見し、ぼくは、もちろんさあ、彼女は実にジニューインな作家ですからね、嘘は書かないよ、と強調し、タマも同じ考えだってさ、読んでやったんだよ、その文章をね、そしたら、まったく共感する、あたしは自分の身体をボロボロにしてまで子供を産みたくないなあって、言ってたぜ。……『タマや』p144より

 僕自身のことを棚に上げて、ここに「少子化」の一因があるのかなぁと、思ってみたりしましたが、結婚もしないで、子なしの僕が言える話ではないので、沈黙します。しかし、20年前の話なのです。答えの出ない問題なのでしょうね。これからも延々と続く宿題でしょう。たった一つの回答なんてないはずです。あれば、それは生命学の問題ではなく政治、経済の問題でしょう。そのフレーム内では取りあえずのアンサーがある。
 注:e.t.さんによると、僕が下に引用した(「賜物」の章)「その先生は」とあるのは東大の社会学の教授で、朝日新聞の「論壇時評」に実際に記事を掲載していた(1985年7月29日夕刊)らしいです。「たまゆら」の章で、主人公夏之が富岡多恵子のエッセイ(やはり実在暮しの手帖』1986年5.6月号「猫街道」)を引き合いに出してアレクサンドルをあっさり説得してしまいます。とのことです。
 追記:↓のトラバで赤瀬川原平の『父が消えた』を思い出しましたとの報なので、僕も読んでみたくなりました。そんで、備忘録代わりに画像を添付。
 参照:http://news.drecom.jp/catnip
    眞砂子さんの猫殺し騒動 - 楽天ブログ
http://youtube.com/watch?v=GgWktxXF7C4