スター意識?

 市の中央図書館に昨日行って来たら永井荷風全集(岩波書店)のうち一昨日リサイクルで頂戴しなかった巻数がありました。これで28巻の内、24巻、28巻が欠本で、26冊揃ったことになりました。花田清輝著作集の方はあれで終わりですね、?巻の『胆大小心録』の「スター意識」からの続きを引用してみます。

 いや、こんなことをふとおもいだしたのは、いつか『文学界』で、安岡章太郎庄野潤三のことを、当人はみずからの容貌を和製のオーソン・ウェルズだとかウィリアム・ホールデンだとか称しているが、その実、客観的にはポナペの土人にもっとも近い、と書いているのをみて、なんというウマいことをいう男だろうとひどく感心 してしまったからである。わたしは、庄野潤三には会ったことはあるが、さいわいにして安岡章太郎には一面識もないのだ。
 以上の例によってもあきらかなように、若い世代になればなるほどスター意識がつよい。しかし、誤解をさけるために一言しておくが、わたしは、スター意識という言葉を、ウヌボレと同一の意味でつかい、これからおもむろに自已批判にとりかかろうというのではない。そうではないのだ。わたしのいいたいのは、それとはまったく反対のことなのである。
 ご承知のように、最近、身を売ってスターになれるものならなってみたいわ、と口ばしって物議をかもした女優があったが、たいした自信だとわたしはおもった。さらにまた、そういう発言にたいして、身を売るよりも芸を売れ、といったようなお座なりの忠告を試みるオトッツァンもあらわれたが、なんとい`う俗物だろう、とわたしはせせら笑った。
 アルチストとはーーしたがってまた映画スターとは、自分白身に、売れるかもしれないところの肉体も、売れるかもしれないところの芸も、きれいさっぱりもちあわせのないということを、骨身に徹して自覚している人間のことをさすのである。
 一言にしていえば、かれらは、かれら自身が完全なデクノボーだ、ということをちゃんと知っているのだ。身を売ったり、芸を売ったりしてスターの地位を買うとすれば、売り手と買い手とのあいだには、立派に、「ギヴ・エンド・テーク」の関係が成立する。しかし、スターというのは、法則のためにではなく、例外のためにつくられた人間なのだ。したがってかれらはなんにも売らないでーー売りたくても売るものがないのだから、自然そういうことになるが、もっぱら、「テーク・エンド・テーク」の道を突進する。その心意気がかれらをスターにするのである。ポナベの土人に似ているのは、庄野潤三ではなく、むしろオーソン・ウェルズのほうかもしれない。ヴィクター・マチュアは、紀元前百万年だったら色男として通用しただろうが、いまでは抜け作の標本みたいなものだ。三船敏郎にいたってはーーいや、同胞の悪口をいうのはよそう。
 とにかく、映画スターに美男美女がなれるという伝説ほど、信じがたいものはない。かれらの容貌や風采は、客観的にみればいたって平凡なものだ。芸についていうならば、かえってたたきあげた芸の持ち主は、バイプレヤーのほうに多いだろう。にもかかわらず、わたしなんかでも、映画スターに似ているといわれるとまんざらでもないような気がするのは、いったい、どういうわけだろうか。
 むろん、生ま身のかれらと、かれらの扮した作中人物とをとりちがえ、熱をあげるようなばあいがないとはいえない。錦之助のファンの大半は、かれを源義経だとおもいこんで、英雄視しているだろう。わたしのなかにもミーハー族がまったく住んでいないとはいわないがーーしかし、わたしの映画スターにいちばん心をうたれている点は、かれらがアルチザンとしてではなく、アルチストとして、どこまでも「テーク・エンド・テーク」の道に一路邁進している点である。「テーク・エンド・テーク」を「とれ、しかしてまた、とれ」と直訳したり、「やらずぶったくり」と意訳したりすると、無芸大食のくせに、スターとは厚顔無恥なやつだと考えるひともあるだろうが、それがシロートのあさましさというものであって、もしもそんなひとをスターの地位につけたなら、さっそく、自分の容貌や風采に途方もない自信をもったり、自分の芸には誰も追随することはできまい、とたちまち鼻を高くするに決まっている。イタリアン・リアリズムは、多くのシロートを起用したが、その大部分がその後スターとして活躍していないのは、かれらがシロートだったからではなく、かれらがシロートのくせに、シロートではないとおもいはじめたからにちがいない。(311頁)続く

 ジョンウェイは間違いないスターなんだろうなぁ、ジャックレモンやウディアレンもスターではない、多分、オダギリージョーも香川照之花田清輝風に言えばスターではないのでしょうね。石原裕次郎ジャン・ギャバンはスターなんだろう。渥美清はスターであってもフランキー堺はスターではない。こんな風に書くと切りがないので、書かないが、今、スターがいるかと問われれば、思い浮かばない、少なくともアベ、コイズミ新旧の総理を凌駕するスターが出て欲しいが見あたらない。ビートたけしや、太田光がと思うが、木枯らし紋次郎はスターであったが、中村敦夫はスターではないもんなぁ…、でも、アントニオ猪木は結構政治的センスがあるので、どうだろうか?まあ、これから太田光に頑張ってもらいますか。