即身成物

オンライン書店ビーケーワン:黄泉の犬オンライン書店ビーケーワン:渋谷オンライン書店ビーケーワン:印度放浪オンライン書店ビーケーワン:全東洋写真
 マイミクさんや、田口ランディさんあたりで取り上げられていますが、藤原新也著『黄泉の犬』に関する話題が前作『渋谷』に比べて非常に少ないというのは否めない、僕自身も『渋谷』はbk1に拙レビューを書きましたが、昨夜、本書を読了して、「はて?どのように感想を述べていいのやら」、最初の言葉がでません。それで、助走の意味も兼ねてここに思考の過程のようなものを書いて、bk1にトラバすることにしました。そうやって暫く寝かせて、煮詰まった時、拙レビューを書きます。
 オウムの問題に関しては先週、神保哲哉さんのビデオニュースドットコムで上祐史浩氏の「麻原の神格化は大きな過ちだった」の動画で宮台真司を参画させたトークを聞いたばかりなので、裁判で死刑の宣告を与えようが「果たして僕らはオウム的なもの」から完全に脱却出来得たのか、そのような自問自答があります。
 自己相対化(客観化)をスルーして、「見たくない排除の理論」だけで、安心・安全を構築しようとしたら、又、いつか凶暴な山羊の角に脅かされる事態を呼び込むだろう、いや荒み狂った人間の心に触れるのは動物の心に触れるよりもっとムツカシイことです。藤原さんの言っていることは単純明快です。それは『印度放浪』を経て愚直にも繰り返し語っていることですが、それでも世界は益々他者に優しくなくなっている、「愛国心問答」にしろ、「教育基本問題」にしろ、先に排除の論理があって、異化を包摂する豊饒な社会を構築しようとする度量の大きさがないということでしょう。
 ヒステリー、強迫神経症的な「他罰構造」が内面化されている。ほとんどの人が何らかの都合のいい道具立て(誰でも一つぐらいは持っている)で、自分を被害者、被害者予備軍に仕立て上げることが出来、自己正当化の文脈で語ることが出来る。そうではなくて、自らを加害者性から無縁でないという痛みのポジションから発話することなくして、他者の角に触れることは出来得ないし、他者と共に暮らす歓びを遠ざけてしまうだろう。本日エントリーされているshinya talkの「新興宗教と市民」はそのようなshinyaさんのメッセージだと思う。
 でも、僕のブログでも時たまコメントしてくれる今の若者達の言い分を拝見すると、「あんたたち、爺ぃ、オヤジ連中はバブルで美味しいどころ取りをして、今更なんだ…」ということだと思う。そのような若者の一人で「老人駆除」さんは、僕に光文社の『老人駆除』っていう本を薦めてくれましたが、彼の苛立ちもなんとなくわかるのです。赤木智弘さんの物差しを拝借するなら年収300万円以下の人びとはマクロ的に「痩せた豚」でありつづける。勝ち組、負け組のカテゴリーは「肥った豚×痩せた豚」との鬩ぎ合いなのです。
 バブル崩壊後、1995年を分水嶺として、「心」を前面に語りだした状況がありますね。勿論、藤原さんの文脈はバブル以前から脈々と流れる形而上学的、実存的な悩みで、経済がなんともいかんとしがたい状況になってこれ以上の経済成長が望み難くなったから、若者達の形而下化的(仕事をよこせ、分け前が少な過ぎる、衣食住)欲望を宥める方策として語る「金がすべてではないんだ、心なんだ」と調子のいい御託とは全然違う。
 「豚はどうでもいいんだ」という前提が『黄泉の犬』にはある。生きること、リアルということ、「僕が消えてしまう」という形而上学的悩みに棹されて1968年、藤原新也青年は旅立つのでしょう。僕自身も当時似たような状況であったから、別段、藤原さんが特殊ではない、バブル以前からそのような若者達が沢山いた。バブルの蜜をさんざん吸って、調子よく悟ったわけでもない、勿論、そういう連中がメインだろうけれど、あの時代、メディテーション、癒しがビジネスとして消費されていましたからね、今やインドはITとして基盤整備されているが、「豚であり続ける」ことに存在の不安に駆られて印度放浪をした若者たちが沢山いたし、麻原彰晃もそのような一人だったわけでしょう。
 本書で作者は麻原彰晃の兄に会い水俣病の問題と接続しようと試みる。ただ、そのような作業が中座したことはこの国にとってもとても残念なことかもしれない。

 「フジワラさん、今日話したこと、ワシの目の黒いうちはどけも話しちやいかんぞ」      

 私は「なぜですか」と言おうとした。山を九合目まで登って登頂間際で引き返さねばならない無念の気持ちがあったからだ。だがこのことを書くことで満弘はさらにおいつめられるかも知れないとの思いが走り、喉まで出かかったその言葉を飲み込み「わかりました」と言う。
 私は新幹線の中で冷静に事の次第をふり返る。
 かりにあの満弘の言葉を書いたとして、それが麻原彰晃水俣病患者であるという証明になるわけではない。それはあくまでひとりの人間の言質に他ならない。満弘の言葉を引き出したときは身震いするような高揚感に打たれたが、それから二時間後には普段以上に冷静にしている自分がそこにいた。そう思いながらふとあらぬ考えが脳裏を過る。
 ひょっとすると満弘は虚言を吐いたということも考えられないのか?
 私が水俣病という言葉を出した直後の長い沈黙。そのあとの「よう、そこにお気づきになったなあ」というあの言葉のタイミング。それは私の言葉によって彼がそのことを気づかされ、そういう風に弟の智津夫を弁護する方法があることに気づかされた、ということは言えないだろうか。
 私は迷いつづける。
 だが彼は水俣病患者認定の申請にあたったとまで言った。そしてそのような行動が保守的な土地柄ではアカよばわりされたというような言葉は、虚言の中で生まれる言葉でもないように思える。またかりに麻原が水俣病でないとしても彼がそのように認識していたとするならどうだろう。それは十分に彼の行動や情動の動機づけにはなるということも言える。
 迷いと思考の綱引きはずっと続いた。
 だが満弘との約束は当然守らなければならない。他言できない以上、そして書けない以上、昨日から今日にかけて起きた出来事は徒労にすぎない。そう思わざるを得なかった。
                   ●
 満弘の証言が公にできないとわかって、私はオウム真理教事件に関する雑誌連載の記述を「迷路」の章までで終えている。しかし、それまでの刺激的な記述は話題になった。そのことは水面下での風評となり、十一年後の今日では情報の出所さえ曖昧なものとなっている。続く(p76~7)

 このような部分は僕の言葉で書くと誤読を生む危険がある。あえて本文より引用しましたが、僕の手元にある本書は初刷りです。藤原新也ブログによると、訂正箇所をアップしている。本書はつまみ食いではなく、全体として読んで初めて見える藤原さんの強い思い、特に途方に暮れた若者達に、お節介であろうと、全力投球で言葉を届けようとする還暦過ぎたオヤジがムシされようと投じた真摯な一球であることは間違いない。僕はそう信じています。
 でも同年の僕がこんな風に言っても書いても説得力がないですね、本屋の店頭で立ち読みして「怒り」でシンクロしてもいい、若い人達に読んで欲しい本ではあります。藤原新也ブログではメールも受けつけていますよ、shinyaさんに向かって球を投げ返しませんか。