黄泉の犬つづく
藤原新也さんの朝日新聞に掲載された記事がブログにアップされていますね、読んでいてあまりにベタな直球に胸が締め付けられる苦しさを感じました、《…携帯の画面には「あいつ」「ゴキブリ」という言葉がちらりと見える。おそらく小学五,六年生くらいだろう。子供は携帯画面を見終えると、カバンから携帯ゲーム機を取り出し、一心に両手の指を動かしはじめる。画面には飛行機の影が浮遊しており、神経症のように叩きつける指の動きと連動してビームを発射し、しきりに何か得体の知れないものを攻撃している。…朝日新聞「時流自論」の記事より》。
shinyaさん、本気なんだなぁと、モンスターに正対している。青年Shinyaさんは、チベット文化園のラダック地方でYと同宿する。やがて、Yは精神の変調をきたす。宿から消える。ShinyaさんはYを探しにゴンバ(僧院)の方に向かって歩く。道すがら、彼が脱ぎ捨てたシャツ、はいていたピジャマ、メガネ、コイン、時計、そしてとうとう、寒空の下、一糸まとわぬ裸のYを発見する。Yは怒気を含んだシュプレヒコールを投げる。「帰れ!、帰れ!帰れ!…………!」
Yの私に向かって突き出す右の拳は震えていた。争いを畏れているからではない。心の表象にすぎない右手に握りしめる百錬製の金剛杵に何らかの物理的な法力かおるものと錯覚しており、それにエネルギーを送っているのだ。私は言う。
「ウルトラマンじやねえんだよ、アホー!」
Yの顔は青ざめ表情は一層険しくなる。歯を食いしばり、金剛杵に向かって狂ったように念力を送っている。彼は金剛杵から出る殺人光線だけで私を倒すつもりらしい。私はYの目をじっと見据えていた。……この狂った動物から目を離さないようにしなくちゃな。私の心境はかつて河原で人食犬と睨み合ったあのときのそれに似ていた。
そのとき、Yの彼方むこうに動くものを見る。ゴンパの山の斜面の道にいくつかの小さな臙脂色の人影が現れ、ゆっくりと登っていく。
憎だった。夕刻の祈りのため、それぞれの僧房を離れた憎たちが本学の方へと登っていく姿だった。
それを見たとき私は不意にあの老僧の言葉を思い出す。
……今度はその子の親(山羊)の角に触れさせてもらうのだね。
ふと払は目の前のYと同じように修羅場に迷い込んでいる自分を見たような気がした。そして再び僧の言葉を思い出す。
……同じ人問でありながら、(中国兵のように)荒み狂った人間の心に触れることは、異なる動物の心に触れることよりもずっと難しいことです。
私は目の前の震える金剛杵に目を移しながら、?このク山羊の角?に触れることができるだろうか、と思った。……(『黄泉の犬』p279より)
金剛杵が少年の携帯に重なる。チベット密教の聖具である金剛杵は、その先端が三本刃の鉾となった武器でもある。《僧が他者を殺めるための武器を所有していることは文字通り大きな矛盾だが、もともとこれは自らの中にある煩悩という敵を制するための小乗の具であった。しかしこの鉾が無明の者の手に渡ると気が狂うとも言われた。大乗の名を騙って他者を制する金剛乗へと変貌するのだ。(p272)》
『黄泉の犬』は直截な本である。「あえて言うメタ」はどこにもない。ベタで言い続けることでしか、巨岩も、モンスターも揺れ動き、変貌し、世界が変わるきっかけにならないのではないか、アイロニカルなオヤジで、メタな遊びに偏りがちな癖のある僕にとって藤原新也、辺見庸と言った同年のオヤジ達は、痛みを持った偉丈夫だと心密かに尊敬している。だからと言って、僕にはマネは出来ない。
ただ、若い人達にこのようなオヤジ達がいるんだと知ってもらいたいと思いました。
参照:藤原新也さんの新著『黄泉の犬』に感応したこと - 風の旅人 編集便り 〜放浪のすすめ〜
藤原新也さんの朝日新聞の寄稿文について - 風の旅人 編集便り 〜放浪のすすめ〜
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