日本が見えない

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 稲泉連『ぼくもいくさに征くのだけれど』を読了。出版された当時より今このときに読んで欲しい本ですね、リアリティを持って遠くから記憶の隅に追いやろうとした声がかすかに聞こえてきます。

「定本 竹内浩三全集」と題する浩三の作品集の出版が近づいていた七月七日、今回も編者となった小林は、松阪市の松島家の書庫で『パウル・ハイゼ傑作集』という古ぼけたドイツ語読本を見つけた。その余白には、一篇の詩が約六十年のあいだ誰の目にも触れられぬまま、ひっそりと書き付けられていた。
 この空気/この音/オレは日本に帰ってきた/帰ってきた/オレの日本に帰ってきた/でも/オレには日本が見えない
 空気がサクレツしていた/軍靴がテントウしていた/その時/オレの目の前で大地がわれた/まっ黒なオレの眼漿が空間に/とびちった/オレは光素(エーテル)を失って/テントウした
 日本よ/オレの国よ/オレにはお前が見えない/一体オレは本当に日本に帰ってきているのか/なんにもみえない/オレの日本はなくなった/オレの日本がみえない
 詩を読み終えると、小林は書庫の高い窓から思わず空を見上げた。彼が同書の前書きで記したように、「ついさっきまで竹内の霊がそこに居て、教科書の中にこの詩を書きつけていったような錯覚をおぼえたから」だった。
 藤原から連絡を受けだのは、それからすぐのことだった。
 「小林さん、メインタイトルを『日本が見えない』にしたいんだ」
 この科白を聞いたとき、神古晴夫の顔が頭をかすめ、小林は思わず苦笑して言った。「君は商魂たくましいな」――。
 そうして、全一巻、七百頁を超える分厚い「竹内浩三全集」のタイトルが決まった。
 二〇〇一年十一月に出版されたこの本によって、当時二十三歳だった僕は竹内浩三という“詩人”に出会った。

 でも、こうやって、僕は1979年生まれの稲泉連の一冊『ぼくもいくさに征くのだけれど』を今、読了して竹内浩三に関心を持つ。僕が作者の稲泉連を知ったのはまだ学生だった彼が登場する、お母さんの久田恵"の老人ホーム体験記『母のいる場所シルバーヴィラ向山物語』でした。その彼が大きくなって、史上最年少第三十六回大宅壮一ノンフィクション賞を本書で受賞したわけですが、その、1944年生まれのオヤジの僕が竹内浩三の詩を一篇たりとも読んでいなかったことに青年の彼から気づかされる。それは気持ちのいい恥ずかしさです。尚、引用文は第二章の『伝えられてゆく詩』からです。暴力に対抗しうるべきものは言葉しかない、そのことを痛く感じる。

たとひ/おれを巨きな手が/戦場をつれていつても/たまがおれを殺しに/きても/おれは詩をやめ/はしない/飯ごうにそこにでも/爪でもって詩をか/きつけやう