受胎物語/産む桜松(機械)


 酒見賢一『後宮小説』は「雲のように風のように」というタイトルでテレビアニメ化されていたんですね、知らなかった。youtubeにもありました。でも、原作と違ったものとして鑑賞すべきでしょうね、恐らく、本書を映画化するならば、『墨攻』のように人的にも、資金的にも大々的なプロジェクトを組む必要があるでしょうね。
 本書は映像が浮かんでくる隅々まで構成された登場人物の造形と背景は、その見事に決めた描写と科白によって、「決めすぎ」といういちゃもんをつけたくなる職人芸ですが、そういう本は初読は面白いのですが大体が再読に耐えられないというのが殆どなのに、本書は又面白く再読出来ました。
 僕が最も感情移入出来た登場人物は「渾沌」(コントン)ですね。「縁」と「直感」によって動く、何てのは、僕の行動規範でもありますが、実際は、「利」や「理屈」で動いてしまうのが多い。それで失敗する。結局、「度胸」でしょう。わかっているけど、オール・オア・ナッシングで動けない。リスク分散してしまう。それがそもそも、失敗の元と言うのもありますね。
 ヒロインの「銀河」は緋牡丹のお竜、「江葉」は女ハンフリー・ボガードフィリップ・マーロウか、「後宮」は「子宮」であり、「子宮攻防戦」でもあるのです。大臣が失言した「産む機械」発言は「女大学」でも角先生の問い。

『学司子、小宮女ニ問ヒテ曰ク、男女ノ異別ハ如何にシテ定メンヤ』

 という困難な問いにもつながりますね、角先生の答えは「子宮」であるけれど、銀河は疑念を持続する。その疑念は本書の物語が「めでたし、めでたし」となって、その後の蛇足で、「銀河」と「江葉」は欧州の社交界に初期女権拡張論者としてデビューしたような消息につながる。
 ここで、又、続編として「銀河・江葉」のフェミニズム物語を立ち上げてもいいかもしれないですね、
 昨日、聴いた小林秀雄の講演『文学の雑感』の「大和魂は女コトバ」は含蓄があります。でもフエミニズム運動とかような「大和魂」と接続するような言説はなかなか浮上しない、短絡的に「コトバ狩り」になってしまう。何故、この国で『源氏物語』が産まれたのか、「産む機械」と言われてしまう女だからこそ、世界の共有財産である「誇るべき作品」、『源氏物語』を生んだととも言えるのではないか。そのような逆接的な思考の振る舞いは必要だと思う。
 上の画像は昨日撮った京都御所学習院跡にある「桜松」です。倒木の松を養分にして桜が咲いているのです。これも又「産む」物語でしょうね、