きみのことわかっていないところも多いけれど、わかるように努力するよ

アンテナアンテナ (幻冬舎文庫)
 イタリアで田口ランディさんの『アンテナ』が翻訳出版されるのですね、そう言えばこの本は海外在住の友達に送ったっけ、どんな翻訳になるのだろうか、売れるといいですね、その取材でイタリア人にインタビューされた記事が面白い、
 ■『「日本人作家はなぜ政治的な発言をしないか?」』など、

私は護憲派ではない。憲法九条が絶対的なものだと崇拝するのはおかしい。憲法は国家権力を縛るためのもので、理念ではない。勝手な解釈でもって自衛隊を戦地に派遣できてしまうような憲法では困るから、将来的には矛盾のないように改正されるべき。しかし、現政権を全く信頼していないので、この政権での改憲には反対の立場。死刑は廃止したい。平和憲法を護りたい国民が、死刑に賛成するなんてナンセンス。理想と現実を取り違えている。

 明解ですね、護憲派も、改憲派もこの地平に降りたって議論すると噛み合うのになぁと思ってしまう。現在の自衛隊は外の目で見れば間違いなく軍隊であること、現憲法は軍隊を保有することを認めていない。政府は現憲法を護り、憲法の下で粛々と行政を行うのが仕事で、党が改憲を主張するのは問題がないが、行政の長たる首相が改憲をイシューするのはおかしい。改憲がゆるい解釈を許さない、がちがちの平和憲法改憲するんだというイシューが左の方からあってもおかしくないのに、それがない。「愛国心論議」もそうですね。
 僕も内田樹さんのようにみだりに「愛国心」という言葉を使いたくないし、使う人を信用していないというところがあります。でも、だからといって、左の人のように「愛国心」が悪玉みたいな言い方は首肯できない。むしろ、戦略的にも過剰に右の人よりも「愛国心」を強調してもいいのではないかと、思ってしまう。愛国心は本来排除の論理ではなく、それぞれの人の、それぞれの国の「強い根拠地」をリスペクトする境界線を溢れ出るもので、安倍首相が言っている「愛国心」は単なる排除の論理で、現政権を守ってくれるご都合主義としての愛国心でしょう。
 時として「愛国心」は現政権を揺さぶるほど、コントロールし難いもので、左の人だってそのような愛国心を持っていると思うのです。
 そうでないと、政治を語るような身ぶりはしない。僕はそのような「愛国心」が希薄だから、あんまり政治を語らないし、日本の作家も語る人が少ないのでしょう。
 多分、後ろめたくも、アナーキの傾向があるのです。でも、左の人も、右の人も政治を語りたがっている。だとしたら、噛み合う地平に降りたって議論して欲しいと思うのです。例えば、平和憲法を護りたいために「改憲を推進」するのだとか、戦後民主主義教育がないがしろにされているから、政府を常に検証する「メディア・リテラシー」の苗床を育てるために「愛国教育」を提唱するとか、そのような視座があってもいいかと思うのです。
 このブログでも昔、書いたことがありますが、「奉私・奉公」のwin&winの関係です。「滅私・奉公」もダメ、「奉私・滅公」もダメ、でも、「滅私・滅公」のアナーキな気分はなんとなくわかります。でも、どうやら、いつまで経ってもこの社会は「滅私・奉公」、「奉私・滅公」を欲望している怖さを感じます。というか、人々がですか…。根の深い社会システムが構築されているのでしょうね。

「なぜ日本人はひきこもる? イタリア人は同じ状況なら逃げ出すのに」
「日本人は、この島に一万年も住んでるの。そのあいだ侵略されていない。穴にもぐっていれば、やりすごせると思っている。ヨーロッパは違うものね。他国が攻めてきて隠れていたら殺されるから逃げるのよね」
アメリカに侵略されただろう?」
「あれは侵略というよりも、精神的なレイプかな」

 イタリア人がランディさんにスパゲティをおごりたくなる気持ちがわかりますね。
 風の旅人さんの、「きみのことわかっていないところも多いけれど、わかるように努力するよ」は素敵な言葉ですね。こんな風に、誰かと接したいし、どこかの国と付き合いたいものです。イタリア人に天ぷら蕎麦をご馳走したくなる。
 追記:永江朗さんもbk1『アンテナ』のレビューを書いていますね、面白い、お馴染みの人が色々書いているので、懐かしさのあまり検索します。
★田口さん自身もレビューアップしている。そうだよね、身体って他者であり、記号でない〈言葉〉なのだと思う。
★オリオンさんも書いている、「切断」と「接続」の物語か、6年前のレビューですね。
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