仲良しでないトークバトルを…、

戦争が遺したもの

戦争が遺したもの

 最近のエントリーからの連想なのですが、かって小谷野敦さんが、「対談集」が減るというエントリーをアップしましたよね、確かに丁々発止のトークバトルが少なくなりました。 対面ではなかなか難しいなら、ネットの往復書簡によるやりとりがあってもいいですね。例えば「愛煙・嫌煙バトル」で、森岡正博さんと往復書簡とか。そんなことを思いながら、前にも書いたことがありますが、鼎談もカウントして、こんな人のトークセッションがあればいいなぁと思いつくままに書いてみます。
 今世紀の鼎談集でもっともスリリングだったのは、鶴見俊輔×上野千鶴子×小熊英二『戦争が遺したもの 』(新曜社)だったですが、単なる仲良し倶楽部的でない緊張感に満ちたものでした。三人三様気迫がこもっていた。
 対談・鼎談の理想モデルとして僕の中に本書がありますね。
 【そんなところで、メモ】
 ◆超越的な視点が入らざるを得ない「第三者の審級」、又はノーベル100(ノーベル賞を100個ぐらい取る力技)の気の遠くなる科学?的視点が要請される「クオリア」について、大澤真幸×茂木健一郎トークバトルが実現できないですかね、
 クオリア日記で音声アップされていたとやま夏期大学の講演で、茂木さんは大澤さんの『ナショナリズムの由来』がバックに入っていると言っていましたので、熱く語ってもらいたいですね、一体、「掛け替えのないもの」って、人が生延びるために、果たして、必要なものか、
 「貧困」に我慢ができるけれど、頭の先から爪先まで、すべて等価交換されうる消費主体として、人は動物化であれ、メンヘラーにならないで、ノンシャラと耐え得ることが出来るのか、
 そんな問題意識があるから、講談社PR誌「本 8月号」の大澤真幸×東浩紀ナショナリズムゲーム的リアリズム』は面白かったのです。
 もし、茂木健一郎×大澤真幸×東浩紀との鼎談が実現できたら、感激。
 ◆『論座 4月号」で「希望は、戦争。」の赤木智弘氏に対するコメントで、吉本隆明さん、鶴見俊輔さんがもっとも噛み合う応答をしていましたが、それは戦争体験のあるお二人が逃げないで真摯に若者に対峙しようとした戦後60年の生き様がいまだに持続しているんだなぁと、そのことに感動したのですが、鼎談が実現したら、こんなすばらしいことはない。
 対談でもいいですよ、対談なら、鶴見俊輔×赤木智弘『人を殺さないということ』、吉本隆明×赤木智弘『自分が良くなったらそれでいいのか?』かな、
 ◆格差社会について、内田樹×生田武志トークバトルが聞きたいです。『誰がわれわれの隣人なのか』
 ◆モテ系/非モテ系について、森岡正博×杉田俊介トークは違った視点での応酬が期待できます。
 まだまだ、あるのですが、メモのメモとしてランダムに書いてみます。
 ◆東浩紀×森岡正博、「情報といのち」◆藤原新也×松崎義行、「自己表現という病」◆小熊英二×萱野稔人、「国家と愛国」◆吉本隆明×上村和樹、「引きこもれ、引きこもり」◆鶴見俊輔×武田徹、「戦争と平和」◆島田祐巳×中沢新一、「宗教はどこへ行く」◆御手洗冨士夫×雨宮処凛、「働く、生きる」◆島田雅彦×中原昌也、「小説なんて」◆斎藤環×保坂和志、「小説家を精神分析する」◆大澤真幸×立岩真也、「自由の平等、ジャンケンポン」◆茂木健一郎×仲正昌樹、「生き生きとした/クオリア」◆内田樹×大澤信亮、「働くこと・学ぶことからの逃走」◆大塚英志×笙野頼子、「サブカル/純文学」◆石原慎太郎×東国原英夫×田中康夫、「政治について」◆宮台真冶×上野千鶴子、「男と女」
 続く、又、後日>>