それぞれのパッションが込められた一冊
- 作者: 宮原昭夫
- 出版社/メーカー: 宮原昭夫小説選制作委員会
- 発売日: 2007/08/01
- メディア: 単行本
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http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20070713/p3
http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20060726/p1
野宿者問題に関しては岡本かの子の『生々流転』ですなぁ、
http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20041025/p2
『老妓抄』は青空文庫で読むことができますが、『生々流転』はまだ時間がかかるらしいです。大長編ですから、
こうやって、久しぶりに青空文庫を覗くと、グローバル化の現代の奴隷化、動物化に抗う主体的再帰性を身につける「啓蒙」がフリーソースとして手に入れることが出来るんだと改めて感嘆する。
また、一定の教育や文化のもとで主体は形成されていくので、「再帰的主体の形成過程」を抜きに、再帰性は成立しない。
が、ここが困難な点であるが、再帰性を評価する議論や論理は、人間が再帰性をもつこと、すなわち人間が合理性や論理性、高度な知的レベルをもつことを前提に形成されており、再帰性を形成する過程を、それらの議論内部では語れない。
人が再帰的人間になるには、そのように育てられる過程が必要であるが、その過程は再帰的ではない。親は、何が良くて何が危険かを子どもに教えなくてはならない。ここでの親子関係は非対称である。が、再帰性の議論は、極端なことをいえば、こういった非対称な関係を権力的関係として認めないだろう。友達親子以外なくなっていくように。ー樫村愛子著『ネオリベラリズムの精神分析』(光文社新書)ー
オープンソースのかような『青空文庫』をネットに非権力的に提示することによって、少なくとも対称的な構造が成り立ち得る。そうやって自己啓発(この言葉も薄汚れて腐臭を放っているが)を自分なりに「内なるパッション」で、「脱埋め込み化」(ギデンズで、樫村愛子の本書では64頁)で再構築するしかないのでしょうね。
前日のエントリーで『ライトノベル』で、Sugitaroさんとコメント欄やりとりがありましたが、東浩紀のこだわる「ライトノベル」はやっぱコミュニケーション志向で、肯定的な意味で「ゴミ・ケーション」に近いものだと思う。
本書は、人間にとっての「恒常性」を、現在の自民党が進めるような、伝統に無前提によりかかる原理主義的方法とは異なり、『ネオリベ現代生活批判序説』でも紹介した精神分析理論的方法によって、自由、多様性、再帰性、民主主義、人権などを放棄せず、それらと両立しうる形で構想したい。
なお、「再帰的社会における恒常性の危機」とは、「コミュニケーション社会における文化の危機ーー貧困」と言いかえることもできるだろう。
ドゥルーズが批判するように、制度や中間集団、文化が消失し、さまざまな事態を瞬時のコミュニケーションによって処理する「コミュニケーション社会」では、人々の交通を妨げている物理的・社会的障壁が消失して人々がダイレクトにつながるのではなく、人と人とを現実につなげている文化や社会的システムが排除され、むしろ人々は、逆に不信と敵対の関係に陥ってしまう
人と人との関係は、あとで見るように、愛憎が背中合わせで張り付いている。幼児はこの矛盾的様態を克服して大人になっていく。この矛盾はその後も持続する。が、それを名指ししたり、鎮めたりする文化が、人々にこの困難な無意識的な感情についての認識を与え、人々を支えていく。
しかし今、この無意識的なものを表象する文化を再構築することが求められている
本書では、ネオリベラリズムが進行する社会の中で、透明性の幻想のもとで排除されつつある文化の重要性を指摘したい。(27頁)
愛憎は茂木さんが良く言っているアタッチメントとデタッチメントの問題なんでしょうね、「安心」/冒険(危険)は着脱式の一体なもんでしょう。だから東さんの物言いも気になってしかたがないのでしょう。茂木健一郎×東浩紀の対談が聞きたいものです。
そうだよね、ライトノベルってコミックのコーナーにあるんだ。そう言えば『書店繁盛記』で田口久美子がそんなことを書いていました。思い出しました。
図書館から連絡があって取りに行ったら30名近い人々がっそれぞれ「打ち込みグループ」、「校正グループ」などを担当してプロジェクトチーム(宮原昭夫小説選制作委員会)を作り、河出書房新社から発売されたばかりの『宮原昭夫小説選』でした。箱入りのどっしりとした装幀の豪華単行本で、
その質感は「みんなのパッション」が込められた一冊なのだと感じ入りました。
追記:小沢健二の『うさぎ!』の第一話が公開されていますが、続きをよみたいです。
参照:id:eireneさんが書いているように、生きる意味を問うことの場って大事なんだよね、意味より強度と、僕は時々念仏のように祈りますが、強度より意味って、やっぱり大切。
でも、「強度」と「意味」は深いところで繋がっているはずだ。別々ではない。「再帰性」と「恒常性」はそういう陰陽なのだと思う。
ネオリベラリズムの精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか (光文社新書)
- 作者: 樫村愛子
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2007/08
- メディア: 新書
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