「んんん」はやっぱヤバイ/ケータイへ


保坂和志さんの掲示保板でチェさんいう方が「あああ」というカキコ(no.3393)で、こんな言葉があったけれど、素敵な箴言だなぁ。

たとえば
自分と他人がいて「コミュニケーション」が生まれるのではなく、コミニュニケーションがあって、はじめて「他人」と「自分」が発見される。
そんな逆説をいつも突きつけられているような気がします。

コミュニケーションって尻取りのように回り続けるものでないと、「ん」でフリーズして、「他人」も「自分」も消えてしまうのでしょうね。「ん」って言う裸の王様になってしまう。
でも、ケータイ小説もまず、コミュニケーションありきから生まれたものって言う気もする。何かスゴク気になるんだよね。
多分、ラノベとケータイは全然違うものだと思う。ラノベにおいては、「自分」と「他人」がいて市場が想定されたメディアミックスであれ、作り込みであるけれど、ケータイはそんな市場戦略は少なくとも書き手において想定されていなかったと思う。先に「コミュニケーション」があったんだと思う。まあ、僕の思考実験であるけれど…。だから、僕の中でラノベは全然興味がないけれど、戦後日本文学史の流れにおいて、例えば、『文藝特集保坂和志』(2003年刊)において永江朗保坂和志にロングインタビューを行っているのですが、そこで、保坂は本当に日本の小説っていうか、日本の文芸誌の世界は十年単位でガラガラ変わっていると見取りをしている。僕自身の感覚でも中上健次以前(こちらは長くなるので、省略するが、野坂昭如が『文壇』という本で文壇の消えゆくドキュメント風の小説を書いていたが、まだなんとか文壇の名残があった時代ですね)と以後を見るなら、70年代は村上春樹村上龍で、それから高橋源一郎が出てきて(80年代)、保坂さんは言う。

80年代って本当に、村上春樹島田雅彦高橋源一郎吉本ばななっていう人たちに絶対芥川賞を出そうとしないっていう、何か文芸の周辺の人が圧倒的に文学というおかしな妄想にしがみついていた時代だったんだよね。僕自身も、文芸誌でデビューできないと小説家になれないな、と思っていたのね。文芸誌というのは、すごく間口の狭いもので。80年代ってまだまだ書き手の方が寄っていって、それを文芸誌がはじき返すっていう構造だったのに、90年代の十年間っていうのは、どんどんはじかなくなって、終いには書き手を漁っていくようになった。それも漫画家とか、芝居とか映画とか、とにかく書けそうな人を漁りまくる方に変わった十年間なんですよ。(p11)

そこで、永江さんは、従来型の書店でないようなヴレッジヴァンガードで異常に売れてしまったりすることを指摘して、いわゆる読書界で想定されているヒエラルキーとは全く違ったシーンの読者が保坂の本を手に取ったりする。そこで、永江は90年代は保坂和志の時代だったと言うわけです(笑)。
先日、ある作家のエッセイで、小説なんか読まない勿論ラノベも…、そんな息子はわざわざ、オヤジからお金をもらって本を買った。その記念すべき出来事でスポットライトを浴びたのが「ケータイ小説」で、作家自身もペラペラページをめくったがとても読めなかったと素直に告白しながら、それでも、小説をいままで読まなかった息子が自分の意志で小説を買い、読んだということにかすかな希望の灯を見るわけですが、乱暴な仮説ですが、ひょっとして、ケータイ小説は保坂さんの小説の世界に無意識ゾーンで繋がっているような感じがするのです。だから気になるのかもしれない。東浩紀ラノベを書いたりしましたが、そちらの文学シーンとは全然違うと思う。僕なんかもよく「ラノベケータイ小説」と一緒くたにした言い方をしたことがありましたが、全く別物ですよ。
 コミュニケーションがまずある。市場が先にあるわけではない。