責任の取り方


 参照:http://www.geocities.jp/shinbunhanbai/
 前日のコメント欄で塩津計さんは、こう言っている。このことはある面では首肯出来る。
>ただ違いは、私は政府の補助金にぶら下がっている連中を切って、市場原理で弱肉強食原理をもっと日本に生かせ(現状があまりに悪平等なんで)という「手段」を使えといっているんですね。

 例えば、昨日、ビデオニュースドットコムで視聴した「このままでは道路の暴走は止まらない」(加藤秀樹氏・シンクタンク構想日本代表)でも、同じ文脈なんだと思う。
 僕は第四の権力であるマスコミが、少なからず、「ぶら下がり体質」があることがまずは問題なんだと思う。ここを攻めないと局面が変わらない。それでネットジャーナリズムに期待していたわけですが、遅々とした歩みですね、ビデオニュースドットコムはよくやっていると思う。ここは、再販維持制度の問題も積極的に取り上げたし、『新聞ビジネスはすでに破綻している』(河内孝氏) という番組もありましたね。
 昨日、本の整理をしていたら、ジュンク堂のPR誌『書標・2007・5』に河合さんの記事がありました。さすが、ジュンクと思ってしまった。アメリカのコロンビア大学の少数のセミナーで行ったプレゼンテーションを紹介。「なぜ日本の新聞社では新聞記者(上がり)が社長を務めているのか(務められるのか)」、そんな質問が集中したらしい。

さて私は、こんな風に答えた。「日本ではメディア世界は典型的な規制産業です。国有地の払い下げを受けたり、再販制度を維持してもらうためには政権与党に顔が効いたり、主要官庁のトップとツーカーの関係でなくてはならない。だから政治部や経済部出身記者の“顔”が役に立つ。ましてテレビ界は、電波の割り当てで首根っ子を抑えられているから新聞社以上に政権党、官庁との人間関係がものを言う。最近まで郵政省官僚の最もおいしい天下り先でもあった。だから日本のメディア界では、コロンビア・ビジネススクール卒業のMBAでは社長は勤まりません」。

 そうか、ホリエモンの登場は意味があったかもしれない。ただ、拙速し過ぎて、脱線したのであって、彼がやろうとしたことを、少なくとも彼のマットウな部分を掬ってやることが必要かもしれない。

『新聞社――破綻したビジネスモデル』で読者の皆さんに特に伝えたかったのが、この日本メディア界の特殊性だ。
 安倍首相は「戦後レジーム」からの脱却を目指しているが、日本の新聞産業体質は戦中の「総動員体制」のままだ。戦時下の用紙統制と言論統制で昭和十三年以前、約1400社もあった日本の新聞社は同十八年には60社以下に集中、統合された。この寡占化は、最近の研究では強制されたというより主要紙が積極的に「国策」に協力した結果であったことが明らかになっている。つまり主要紙の立場から見れば「戦時体制」に便乗して乱立、乱売が続いた業界の再編成を実現したといえるのだ。
 戦時内閣に作って貰ったこの寡占体制の上に乗って大新聞社は戦後、社論を一転させ「反戦と平和」、「戦後民主主義の守り手」を掲げ大躍進を遂げた。何とも歴史の皮肉と言わざるをえない。
 新聞協会がまとめた、「各国の新聞発行部数・紙数」によると日本の新聞発行部数は中国に次いで世界第二位。ところが紙数(一社で複数の新聞を発行しているので会社の数はもっと少ない)は、中国(1035紙)はもとより西欧主要国に比べて異常に少ない。メディア媒体が少ないことは言論の多様性が確保されていないことを意味している。戦時体制は健在なのだ。
 民放の五大ネットのうち四社が新聞社によって支配されているテレビについても同じことが言える。米国ではレーガン政権時代の八十年代後半に事実上、放送と通信の壁を撤廃した。三大ネットの支配体制が崩れ衛星放送と有線放送を結び付けたCNNなど新しいチャンネルが誕生した。こうした点からも日本では最後に残った「護送船団」、日本メディア界の行方を厳しく監視することが大切だ。

 すごく、あたりまえのことを言っている。とにかく、自分のことは棚に上げないで、再販維持制度を始め、記者クラブ問題、通信・放送の規制緩和など、身近なところから、メスを入れて良い意味での自己責任を取る見本をせめて言論界でメシをくっているマスメディアが実践して欲しい。そうでないと、言いたいことも言えないよ!と思います。
 先日、上映中の映画『明日への遺言』を見たけれど、「責任の取り方」なんですよね。上も下も責任を取った上での、「自己責任」で、自分では責任を取らないのに、他罰構造として「自己責任」を語るから「自己責任が」悪者扱いされる。
 こんなことを言うと又誤解されやすいが、弱者が強者に対して「自己責任!」っと言うのは有効だと思う。いわゆる弱者が強者に対して声高に言えばいいと思う。ワーキングプアの人たちはむしろ「自己責任」を旗印にして、「オイラは、ちゃんとやっているよ!」って、でも、その言葉は多少、自分自身にも跳ね返ってくるけれど、そうだからこそ、その言葉は重みを持つ。

新聞社―破綻したビジネスモデル (新潮新書)

新聞社―破綻したビジネスモデル (新潮新書)