中間小説絶版文庫、勿論、純文学だって、いいよ。

だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ

だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ

sugitaroさんの記事生島治郎結城昌治藤原審爾について触れていたがそう言えば、ブックオフの100円コーナーで、結城昌治作品集があったねぇ。好きな巻数を2,3冊買った記憶があるが、今、棚にない、押入か処分したのか、後で調べてみよう。
もう、中間小説なんて死語なんだろうか、どこかに、今東光梶山季之、柴田練三郎、矢切止夫、山手樹一郎などのカッパ、春陽堂文庫の作家たち、推理小説、SF文庫、半村良松本清張は勿論、吉川英治山岡荘八司馬遼太郎の国民作家もカウントして、そんな大衆小説・中間小説といった「専門図書館」が出来てもいいねぇ。寄贈するのに。
街の貸本屋も面白いなぁ、お客さんは来ないかもしれないが…。
井伏 鱒二 (著)井上 靖 (著)舟橋 聖一 (著)水上 勉 (著) の『私の履歴書 中間小説の黄金時代 』なんというのもありました。
僕がこんなことを思ったのは、都築響一の『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』(晶文社)を車中で読んで、その中の記事「紀伊国屋書店バンコク店」で、<アジア絶版文庫シリーズ>の棚があるんだと、驚いてしまい、かような妄想にジャンプしたのです。

これはアジアを舞台にした小説やノンフィクションで、人気が高いにもかかわらず絶版になっている文庫を、紀伊国屋書店が各出版社にオーダーして再刷させているシリーズだ。中味はもちろんカバーまで全部オリジナルのままで、帯だけアジア絶版文庫の名前が入っている。(p56)

1993年に始まったというこのシリーズは定番の棚になっているということです。このような企画が日本でもやれるといいなぁと思いました。

 本好きにとってはうれしいこの企画、他の書店はもちろん、なぜか日本国内の紀伊国屋でも取り扱いしていない。通販やネット販売もしていない。アジア域内にある紀伊国屋に行かないと買えないのだ。悔しいでしょ、でも「来ないと買えない」というのは、ネット販売全盛のいま、ちょっと楽しくもある。
 まとまった数が注文できる大書店ならではの企画といえばそれまでだが、こういう本好きのこころをくすぐるアイディアを出し続けられるかどうかが、激化するいっぽうの巨大書店戦争を、結局は制するカギになるんじゃないかと思うのだ。(p56)

 なるほどね、本書を読んでも色んなセレクトショップとしてのユニークな本屋さんが登場しているが、中間小説だけを集めた本屋さんって聞かないですねぇ。「消えて行く作家」専門店でもいい、絶版になっても古書価値の上がらない本をメインにして棚を作る。そういう妄想です。ヘタに古書価値の上がるかもしれない初版本は棚に並べない。再刷り、書き込みのあるものは大歓迎。ってわけ。

追記:そうそう、妄想ついでに、bk1amazonなどのレビュー投稿は絶版本はダメでしょう。でも、だからこそ、ブログなどのネットで、絶版本専用のレビューサイトがあったら面白いねぇ。ひょっとしてこれはという面白い本に出合うかも知れない。
ここのカテゴリーとして「絶版本書評」を立ち上げようかなぁ。絶版本だから広報書評になりようがないw。
あ、そうか、amazonでは絶版本でも古書としてアップされてもレビューが書けるわけだ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000J97LDQ/hatena-22/ref=nosim
bk1も投稿出来ますね、在庫がなくても受けつけるんだ。スゴイ!
購入できないのに書評が書けます。http://www.bk1.jp/product/00145081
書評を読んで、欲しくなり、購入出来ないとなると、益々欲しくなる、そんないじわるをしてみたい。僕にはそんな書評を書く自信がないが、プロの書評家に「遊び心」でやってもらいたい気がします。勿論、マジな心でもOKなのは当然です。
保坂和志が、小島信夫の『寓話』の書評を書いたでしょう。ああいうアクションは頭が下がります。
 僕がもし現役で棚を作るとしたら、<あるかなしかの本>シリーズって面白いと思う。
あるかなしかの町

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