大澤真幸トーク(2)「NO COUNTRY FOR OLD MAN」

The Fragile Absolute: Or, Why Is the Christian Legacy Worth Fighting For? (Wo Es War Series)

The Fragile Absolute: Or, Why Is the Christian Legacy Worth Fighting For? (Wo Es War Series)

 昨日は、大澤真幸トークイベントについて書きましたが、どうも映画『ノーカントリー』を見てからでないとコメント出来ないと思い、梅田のガーデンシネマで上映中だったので、出かけました。後で気がついたのですが、「絶対悪」を体現する殺人鬼、アントン・シガーは、『海を飛ぶ夢』尊厳死を選択する、ハビエル・バルデムじゃあないですか、ここにも「中途半端を排除」する徹底さがあった。『ノーカントリー』と『海を飛ぶ夢』が一人の俳優を交差して余計にこわくなりました。
 大澤さんは、邦訳が『ノーカントリー』になっており、これじゃあなんのことやらわからない。「NO COUNTRY FOR OLD MAN」のことで、大澤さんの邦訳は『最早この国には善き人の居場所がない』という解釈だと思う。(耳で聞いただけで正確には引用できませんが)
 検索してブログを読むと、「老人の住む国ではない」のような解釈がありますねぇ、まあ、年寄りにとってはこの国は理解不能の地になった。どこかで聞いた言葉だと思ったら、僕のプロフィールの一行一言で、書いている「若者を見殺しにする国」は、「老人を見殺しにする国」でもあろう。と重なるではないかと、又、怖ろしくなりました。
http://ameblo.jp/cinephile/entry-10080151914.html
女でもグーで殴る:映画「ノーカントリー」(試写会)感想
2008-03-23
 大澤さんは『不可能性の時代』(岩波新書)において、スラヴォィ・ジジェクの『ルイ・ボナバルトのブリュメール十八日』から、ジジェクが興味深く、かつ感動的なエピソードを紹介しているとして以下のことを記述する(p256)。(修正:『ルイ・ボナバルトのブリュメールの十八日』はカール・マルクスの有名な著作で、この中でマルクスのある分析に注意を差し向けているのですが、そのことについて、ジジェクは“With or Without Passion”というテキストで以下のことを言及しているわけです。)尚、ジジェクのこのテキストはhttp://www.lacan.com/zizpassion.htmでロムできるということです。

それは、聖王と呼ばれたルイ九世の十字軍の中でのエピソードだ。軍は、途中で、ある老女に出会った。彼女は、右手に火を、左手に水をもってさまよい歩いていた。何をしているのかという問いに対する彼女の答えはこうであった。火は天国を焼き尽くすためのものであり、水は地獄の火を消し去るためのものだ、と。「なぜなら、私は、人が天国での報酬への期待や地獄での恐怖から善を為すことを望まない。ただ、神への愛のためにのみそうして欲しい」と。天国や地獄を無化してしまっているのだから、老女の態度は無神論的である。だが、それは、信仰の否定によってではなく、信仰の徹底化によってこそ導かれてもいる。実際、デイヴィッド・ヒュームは、神への真の敬意を示す方法は、神の存在を無視して道徳的に振る舞うことだ、と述べている。ー『不可能性の時代』(p256)ー*1

 シガーの振る舞いは絶対悪(悪のための悪)の徹底さにおいて、絶対善に反転する道徳的なものと言えなくもない、そこが、又怖い。僕はつくづく「中途半端なOLD MAN」なんだと思う。保安官のトミー・リー・ジョーンズの述懐は痛い!どこかにCOUNTRYはあるのでしょうか、どこへ……。
 こんなことでは、もし、シガーにどこかで出会ったら見事に殺されてしまうでしょうよ。