希望はリアルであると信じられる「言葉」?

 ♪bk1に『ロスジェネ』のレビューを書きました。(http://www.bk1.jp/review/0000466671
 レビュー投稿した後、深夜に丸劇トークでの東浩紀宮台真司神保哲生秋葉原事件についての 長時間視聴で、僕なりに見えたものがありました。だから、レビューでは気がつかなかったこと、言い足りなかったことを、又、別の本のレビューで書くことになるかもしれない。
 今度、イベントトークがありますが、そこでのやりとりをネットなり何らかのカタチで聴く機会があれば、発信したい「言葉」が追記されるかもしれない。この
 丸劇トークの東さんたちの話を聴いて、ネオリベ施策とその補完、包摂としての共同体(関係性)の再生は可能なのか、フランスでの階級、アメリカでの教会、沖縄でのコミュニティ、そんな包摂社会がしっかりとあれば、グローバルな労働市場が最早避けられないものとしてあっても、何とか持ち堪えることが出来る。<関係性の貧困>の問題を焦点化すべきなんだろうねぇ。とつくづく感じました。東さんの見合いの話はオモシロかったw。かって、コミュニティにお節介オバサンがいて、どこの村や町にも日常的にあったよねぇ。僕の体験でも風来坊だったおりでも、よく見合いの話があった。会社を辞める時でも、そこの会社の経営コンサルタントが見合いの話を持ってきたこともあった。まあ、その経営コンサルタントサイドビジネスとして結婚相談所を経営していたんですがねぇ(笑)。
 ところで上のレビューなんですが、最初はこんな風に書くつもりで下書きしたのに、レビューを書く時点で、まるっきり変わってしまった。まあ、趣旨は通底しているのですが、語り口が違う。書くことの面白さは書き始めに思っていなかったことを思わず書いてしまったことにもありますねぇ。それで、最初に饒舌に書いたことを記憶としてアップします。この一文は、内田樹さんの論考に刺激されて書いた部分が多い。前日のエントリーミクシィのコメント欄にも書いたものです。
 ◆相対的に貧乏でも、マジョリティなら経済的強者の気分があるけれど、マイノリティなら文字どうり経済的弱者で、疎外感を味合う。終戦直後の焼け跡、闇市時代と今は違う。あえて、世代論で見取れば第二次世界大戦後、戦中生まれの僕を含めた一般的な物語は少年時代、今の時点から見れば「貧しさが当たり前」だったのです。マジョリティが貧困層、中には例外的に金持ちがいました。でも、尊敬されていなかったですねぇ。終戦後のどさくさにまみれてあくどいことをやっている輩として白い目で見ていたわけです。実際、僕の生まれた呉にもそんなエピソードが沢山あった。ヤクザ組織や、海軍工廠関係の鉄屑を二束三文でかき集めて(多分、非合法的に)、巨万の冨を築いたものもいるし、金持ちは原則、リスペクトされていなかった。  「悪どいことをやったんであろう」と、貧乏は「清く正しく生きている」証しのようなところがあったのですw。
 勿論、貧乏を良しとしたわけではない。今日より明日が豊かになるようにと兎に角僕らの親世代は一生懸命働いたわけです。そして、高度経済成長、バブルへと突入する。スタートは貧しさから出発したわけです。幼児体験は村や町の「貧しい風景」だった。そして、彼らはアメリカ型のホームドラマを参照として、家庭を持ち、少なくとも東洋に誕生した欧米型の民主主義の優等生として経済大国になったわけです。1970年代、1980年代前半に生まれた子ども達にとって、ものごころついたこの国の風景はそういう明るい、「ものが豊か」に満ちあふれ闇や貧しさが見えにくくなった世界であった。
 知らぬ間に「中流層」という豊かさがマジョリティになって、資本主義国家でありながら、社会主義国家より社会主義の理想を実現してしまったと、他国よりやっかみ半分言われたりもした。
この国の基底は戦中・戦後を一貫して1940年体制が駆動しており、人間宣言した天皇も何ら揺るぎなく強度を保って、そんな民とともにあった。
 「ロスジェネ世代」と言われている若者達の原風景は僕らの世代、上の世代の焼け跡・闇市の風景ではなく、蔵にものが充ち満ちした風景だったのです。そういう状況の中で、蕩尽・徹底した消費が美徳であると生まれた時から学習するのは当然である。なんら問題はなかった。
 むしろ、消費民主主義時代の先駆けだと肯定的に語られた。だけど、バブル崩壊で、そんな物語が色褪せた。一気に蔵の中味が不良債権化した。こんなはずじゃあなかったと、さっさと食い逃げされて、蔵の中味が軽くなってしまった。最早中流層を維持するだけのパイはない。そこにあるのは、団塊ジュニア世代とか言われるゼロからスタートして創業なった創業者から優しく豊かに育てられた貧しさを知らなかった「ロスジェネ世代」の当惑だ。
 「ガッツだぜ」、「自己責任だぜ」で買い叩かれる労働市場が誕生し、他国のことだった南北問題が国内化する。80年代では格好いいネーミングだったフリーターが何の保証もない非正規の「雇用柔軟型」労働者としてカウントされ、グローバル市場の中で翻弄される。かって貧しい時代には一人の労働者として労働三法の存在ぐらいは知っていたのに、分断され人と人との社交に不慣れな若者は、ただただ、ネット派遣の根無し草で労働市場を彷徨う。
 年収200万円以下は「ワーキングプア」と言われる。だけど、グローバル市場の中では、年収200万円は上位11%強にカウントされる。相対的にリッチな人々ではないか、この国内と世界とのズレが問題解決を捻れさせていることは間違いない。
 働いても働いても貧困から抜け出せない人々が大量に生まれているのは間違いないのに、労働市場はいつの間にか国際化されている。そのような閉塞感の中で、就職氷河期世代という徴で赤木智弘という若者が「『丸山真男』をひっぱたきたい 31歳、フリーター。希望は戦争。」で登場したんでしょうねぇ。