ブラウン神父「対象に恋して」

ブラウン神父の童心 (創元推理文庫)

ブラウン神父の童心 (創元推理文庫)

FBI心理分析官―異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記 (ハヤカワ文庫NF)

FBI心理分析官―異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記 (ハヤカワ文庫NF)

 福居伸宏の写真とコラム 『新潮45』7月号「被写体に恋して」を見て読んだのですが、福居さんの写真には人は登場しないのだが、濃密な人の気配がするのです。建物そのものが、艶めかしさがあるのです。古谷利裕がブログや『群像6月号』で、福居伸宏の優れた批評を書いていますが、僕に写真論は書けないので単なる印象論になってしまうが、幽霊という言葉を使うと誤読されそうですが、隙間から「影のざわめき」というか、カタチのない人々の記憶が発散してゆく粒子が建物に街角にまるで町の放課後といった人々の夢が再生されていると言った手触りがあるのです。ちょっと言葉になっていませんねぇ、興味のある方は『新潮45』を購入しないまでも、店頭でも立ち読みして下さい。
 福居さんは、雑誌連載のテーマ「被写体に恋して」の被写体ではなく、僕は「対象」にこだわるとコラムで書いていたが、そのニュアンスはなんとなくわかります。
 少なくとも「対象に恋して」といった恋心がないと、その対象は勿論、その対象を作品として鑑賞する場合でも訴えるチカラが自然に生まれないだろう。パワハラとか利害で抑圧的に説得させといった姑息なものとなる。
 僕もそういうモードで、橋下府知事にパブリックコメントを書いたもんだから、いま読み返してもひょっとして橋下知事に恋心が芽ばえたんではないかと誤読されるかもしれないですねぇ。もしそうなら橋下府知事に声が届く可能性が出てくる。権力関係、利害関係がなければ、他者を動かすチカラはそんな「恋心」でしょう。ただ、こちら側に無事帰還しなければ、危ないですねぇw。
 マイミクさんがミクシィでこんなことを書いていた。

ロバート・K・ケスラーが『FBI心理分析官』の冒頭で引用したニーチェの言葉、
『怪物と闘う者は、その過程で自分自身も怪物になることがないよう、気をつけねばならない。深淵をのぞきこむとき、その深淵もこちらを見つめているのだ。』

 G・K・チェスタトンの探偵ブラウン神父はそんな風にして犯罪者に共振する。そして、ギリギリのところで帰還する。秋葉原事件の文化人達のコメントを読むと、そんなギリギリ感がないところで発言する人が多すぎる。勿論、映画『接吻』の小池栄子のように殺人者豊川悦司の中に自分自身を見て、最早こちら側に帰還することを断念する事もありうる。だけど、仲村トオルの叫びが生まれた。まあ、このあたりは詳細に書くとネタバレになりそうですから、続きは断念します。