軍刀を処分します。


大澤真幸の「中日新聞 論壇時評 2008/07/29〜30」の左翼はなぜ勝てないのかを読む。
秋葉原殺人事件についての論考ですが、参照されているテキストは(1)本田由紀の『軋む社会』、(2)創刊誌『ロスジェネ』に掲載されている大澤信亮の小説「左翼のどこが間違っているのか?」、(3)「『総合社会』中国に向き合うために」(『現代思想』7月臨時増刊号)(4)阿古智子は「腐敗と格差の根元は何か」(『ラチオ』5号)です。

今日、フリーターやニートの自尊心を傷つけているいるのは、彼らが、いつでも、誰とでも交換可能な小さな部品に過ぎない、という扱いを受けるからである。だが、これは、資本主義的な普遍化の作用のきわめて素直な実現にほかならない。左翼を困難に陥れている究極の原因は、結局、資本主義を上回る実効的な普遍性を提起できていないからである。

資本主義の枠組みの中でせめて官僚主導体制(「ステルス複合体」)を終焉させて、最適化を図ろうとしているのが、中川秀直の『官僚国家の崩壊』ですが、本書は大文字のコンテクストも、具体的なコンテンツ(政策)も説得力があって、オモシロかった。*1
今朝は僕の高額医療費還付の手続きに市役所に寄って手続きをしました。ちゃんと書類を揃えていたから、数分間で終わり。数万円が銀行口座の振り込まれることになる。還付金の手続きは面倒くさがらず早めにやるべきです。もたもたすると期限がきれてやっかいになる。
老母の介護の認定が支援2から、最低の支援1になる。まあ、90歳と言っても、圧迫骨折で寝たきりになる危険性が回避されて、益々元気になりましたから、ダウン評価は悦ばしいことなんでしょう。認定の有効期間は一年ですが、介護サービスの利用限度額が月52,000円ですが、今のところ利用する予定がありません。一割自己負担で利用が出来るわけです。
還付金の手続きを済ませて、懸案のオヤジの軍刀の処分の相談に警察署に寄りました。担当は生活安全課の保安係なんですねぇ。警察署内の駐車場に仮設住宅のようなプレハブの平屋があって、ドアでなく引き戸なんです。がらがらと開けたら狭いところに十人以上の刑事がたむろしている。何かって訊かれて、軍刀…、ということになったのですが、処分は簡単です。軍刀を持って保安係まで来いとのこと。認め印を押して、処分願いを出す。そのおり、軍刀でもちゃんと鍛えた日本刀なら高価なものだから、鑑定してもらった方がいいかもしれないと言っていたが、まさか、靖国刀のようなものではないでしょう。
そんなことを思いつつ、今度は病院の図書室に本の寄贈に向かったら、駅前でおばちゃんが「これが赤紙です」っていうチラシを配っていて、そうか今日は太平洋戦争終戦63年目の日だったんだ。表はそのまんま臨時召集令状をコピーした赤紙ですが、裏面には「憲法9条を守れ戦争をする国にしないで!」と四つのメッセージ、(1)戦争は最大の環境破壊、(2)若者に仕事と希望を、(3)子どもたちのいのちを守ろう、(4)ノーモアヒロシマ ノーモアナガサキが印刷されていました。大阪母親大会連絡会というところです。
召集令状赤紙をもらったので、おばさんに、先日、オヤジの赤紙を「ピースおおさか」に寄贈しました。ただ、軍刀は寄贈できない。そんで、さっき、警察署に寄って処分の申請をしたところだが…、云々の長話になったら、市民ホールで映画『靖国』を上映すると言う。二時半からなのでちょうど良い。大阪十三の「ナナゲイ」で上映したおり超満員で見れなかったのです。何と、グッドタイミング。
そして、映画を見たのですが、予想以上の良かった。
チラシに6月24日に亡くなった土本典昭のコメントがあったので引用します。

李纓氏の最新作『靖国敗戦記念日のその一日を凝視する。既成の見方、アングルは排除され、初めてその日を見るように新しい。九十歳の刀鍛冶とその日本刀を物そのものとしてとらえ乍ら、軍人の“魂”とされ、神社の“神体”とされた歴史を天皇と軍人の寫眞と交差させ、この“神体”が戦争へのよみがえりにつながっていることを見事につたえている。“私たちは日本人ではない”と叫ぶ東アジア人の“英霊”の声は戦後六十年の虚構をあばいている。これは“考える映画”の秀作である。

軍刀の長さは約1メートルで、折りたたみ傘のようなわけにはいかないから、どうやって持って行こうかなぁ、「ピースおおさか」のような施設で資料として保管してくれるのが一番なんですが、どのような処分をするのか、後で報告します。