本田由紀/『軋む社会』

タイトルは、『ぎぎぎいぃ…、ぎぎぎいぃ』です。
時々、僕なりに気に入った拙レビューを全文引用アップします。軋む社会 教育・仕事・若者の現在

 本書の最終章『絶望から希望へ』で、「いま、若い人たちへ」と作者はエモーショナルに語りかける。
 《若い人たちへ。/いま、この国には、いびつなところがこれまでよりもいっそう目立ってきているようです。社会のなかのさまざまな領域や組織が、それぞれ閉ざされたなかで、競争に勝ち残るための効率性を、最大限に追求しようとしています。/その結果、生身の人間にとってとても息苦しく、何のためかわからないままに駆り立てられるようなことが、そこらじゅで起きています。/たとえば仕事の世界では、やり方をほとんど教えてもらえずに、いきなり責任が重く複雑な仕事を担わされることもあります。その役目を果たそうと必死で働いた結果、疲れ切って心身を壊し、辞めざるをえなくなったケースがたくさん報告されています。/あるいは逆に、いつまでも単純な繰り返しの作業を与えられ、給料の低いままで、これから成長していけるという将来の展望を、まったく持てないような職場も数多くあります。》
 こういう一文に接して、若い人たちの親世代は、苛立ちを覚えるかもしれない。われわれがかって若かった頃の方が状況がひどかったと。甘えるんじゃあないと、そんな決まり文句が「世間」という空気を背景に「自己責任言説」が流通する。
 そのようなやりとりの行く末には不毛な世代間闘争があるのですが、「誰でも良かったという連続殺人の事件」が切れ目なく報道されるにつけ、「自己責任」で片づけて、問題解決の処方箋を個人に預ける「社会的思考停止」だけはやめてもらいたいとつくづく思う。
 親世代の若い頃は、ビンボーが恥ずかしいことではなく、マジョリティであって、高度経済成長で今より明日の生活が良くなる蓋然性が高く、絶望であっても希望を孕んでいた。ただ、こういう言い草は円マネーが潤滑に豊かに回って行くことで、本質的な問題をスルーできたことからくることかも知れない。
 実際は、この国においては、世間、家族、会社が社会を回していたのであって、外に開かれた「市民」社会の「公」ではなかったことが赤裸々に露呈したことではないか。「絶望も希望もない」取り替え可能な記号が、それでも「生身の人間」である取替え不可能さが頭を出して、「公」として包摂される社会と無縁の存在で投げ出された時、その「軋み」から不断に「理不尽なモンスター」を生みだすことになるのだろうか。
 そこにある種の「モンスター生産」の必然性を感ずる。当然、制度の問題の是非が問われるわけだが、だからと言ってグローバル化の中でオルタナな社会設計が提示出来るかと言えば心許ない。
 街で通りすがりにモンスターに出会うのは、偶然であり、交通事故のようなものであり、車社会をやめることができないように、自殺による死者数が毎年三万人強が計上されるのは、社会的コストとして織り込み済みで、どんどんと競争社会を進むしかないと、ニヒルな達観しかないとしたら、この世の中を暮らしてゆく喜びはどこにあるんだろうと、じっくりと考えてみたくなる。
 「家族」、「学校」、「会社」のシステムを食いつぶして誕生するのが、「自立人間」としての一人の市民ならまだしも、「世間」か「国家」に依存して行くか、孤独に耐え切れられず「モンスター」になるか、そんな選択肢しかないとしたら、やりきれない。
 本書はそのような生き辛さを抱え込んだ若い人に読んでもらいたいのでしょうが、そのような若い人は、このような本を読む余裕があるかどうか、それにも関わらず、そのような人に言葉を届けるために作者なりに社会的責務を感じたのだと思う。
 学者としての正確さ、誠実さと、ちょっぴりアクティビストとしてのパフォーマンスと、雑誌や新聞に掲載されたジャーナリスティックな一文を掲載した本田由紀の今の有り様をドキュメントする「特集本田由紀」というムック本のような編集になったんだと思うけれど、学者が書いた単行本の折り目正しさが良くも悪くもあり、時として教科書的な臭みもある。そのような凸凹も含めて本田由紀なのです。
 あとがきで、双風舎に本作りをお願いしたくだりで、《本をつくることが決まってすぐに私の頭に思い浮かんだタイトルが、『軋む社会』というものだった。谷川さんは、「軋むという漢字が読みにくいかもしれない」と躊躇された。だが、私の頭蓋のなかではすでに「ぎぎぎいぃ」という音が幻聴のように響いており、それに代わる案は考えつかず、このタイトルを使ってもらうことになった。》と書いているが、本書を読んで「ぎぎぎいぃ」という軋む音が共振されるとしたら、作者にとって希望の一歩になるかもしれない。(http://www.bk1.jp/review/0000467489

メルマガ「アルファ・シノドス」(α-synodos)のvol11で、上野千鶴子×本田由紀の特別対談「次世代のためにすべきことは何かーー超能力主義、家庭教育、そして若者をキーワードに」が本屋さんで行われたのですが、そのテープ起こしが全文アップされていました。ご興味のある方はご入会下さい。お代は毎月500円ですよ。
ここでは、ハイパーメリトクラシーを超能力主義と解していますねぇ、超絶コミュニケーション力、人間力…ですか、何か、性愛市場における恋愛力に似ている感じもします。