誰であっても若者を騙るな!

ブログ炎上 ~Web2.0時代のリスクとチャンス (アスキービジネス)

ブログ炎上 ~Web2.0時代のリスクとチャンス (アスキービジネス)

bk1にアップした後藤和智著『おまえが若者を語るな!』の拙レビューを僕のブログに公開します。
投票はbk1書評ページでお願いします。m(__)m
今、この時点ではYES、NOが半々ですねぇw。
コメントしたい方は遠慮なくどうぞ、僕が許容出来る範囲内で応答いたします。
ところで、昨夜、マル激トーク・オン・ディマンド 第394回(2008年10月18日) で「炎上したっていいじゃないか」伊地知晋一・武田徹宮台真司の鼎談を聞いたのですが、色々と勉強になりました。
最後に、マスメディアが記者クラブを独占しているなど、取材に関して既得権益者として様々なアドバンテージを得ていることを認識して、安易に説教じみたコメントをするのではなく、通信社のように禁欲的に情報の提示に徹して、むしろ、ネット論壇を育てるような開かれた方向性が欲しいと三者ともおっしゃっていたが大賛成です。
武田さんは、ず〜とこの問題意識を持続していましたねぇ。そう言えば、「2003年7/19〜7/30」の期間限定で 『武田徹WEBサイト』掲示板を利用して、「ネットジャーナリズムはジャーナリズムをいかに変えたか」というテーマーでやりとりしました。外野席の僕自身も書き込んでいましたが、当時、朝日新聞を辞めたばかりの烏賀陽さんも書き込んでいました。あれから五年以上、経ったのですが、一体、事態は良き方向に向かっているのかどうか、その当時、どのようなことを考えていたのか、又、みなさんの関心事、問題点は何だったのか、それらを検証する意味で武田徹さんのLOG集の一部が僕のブログにありましたので、参照として貼り付けて置きます。

[一回目] [二回目] [三回目] [四回目] [五回目] [六回目] [おわり]

このマル激でも宮台さんは、長年、紙媒体のお座敷論壇を攻撃し、むしろ狭い論壇共同体を解体することが宮台さんの論壇デビューの動機の一つだと縷々述べていますが、著者の後藤和智さんが宮台さんを何故、攻撃のターゲットにするのか、僕にはもう一つ分かりませんでした。むしろ宮台さんを露払いとして酸いも甘いも噛み分けて、いやかき分けて、宮台さに地ならししてもらった道、地平をそれぞれのやり方、デザインで開墾したり道路を作ったり家を建てたりすればいいのではないかと思うのです。

【誰であっても若者を騙るな!】(2008/10/22 23:39:31)
 騙ると語るは違う。騙るは(うちとけて親しげに「語る」ことから)安心してだます。だまして金品などを得る。(広辞苑
 著者が本書で怒っているのは、その様な騙りで若者論を語り、多少の金品ならまだしもマスメディアに持て囃され、何とか諮問委員、ちゃんと論文を書かなくてもどこかの大学の教授に収まってしまう処世に対してでしょう。 その「ミラクルコミュニケーション力」って言うか、ちゃんと社会調査に基づいたデータ、フィルードワーク、臨床など、科学的な検証がなされないで、単なる思いつきウケを狙った口舌の徒ではないかという疑念が基底にあるのであろう。
 『ゼロ年代の想像力』で華々しいデビューをした若手評論家宇野常寛の本には宮台真司の推薦文が帯にあるけれど、同じ若者の著者はまずは宮台真司を斬って見せる。
 僕は同時代的にいかに若者たちが、宮台の登場に影響されたかその体験がないので憶測であるけれど、宇野にしろ著者にしろその感染力から思索の一歩が始まったのかと想像する。
 宇野は宮台の「終わりなき日常」から「終わりある日常へ」という道行きを提示することによって、少なからず、宮台というエアポートから離陸して、宮台を批判しても推薦文にあいなったと思うけれど、本書は宮台のは単なる「俗流若者論」だと「おまえが若者を語るな!」と断裁する。
 だけど、著者は若者を語ってもいいわけです。その拠り所は著者が若者だと言う当事者性であろう。若者を年齢で区分けするなら、論壇的には1975年が分水嶺になるみたいだけど、あまり科学的ではないでしょう。
 でもそれを前提に置いた場合、やはり、著者に斬られた宇野常寛(1978年生)、中島岳志(1975年生)は間違いなく当事者であるから、若者を語っていいかもしれない。そして、僕にとって宇野、中島の若者論はもの凄くナットクできるのです。でも、1976年生の鈴木謙介はよくわかりません。だから、著者の鈴木謙介に関する批評はそうなんですかと思いつつ、宇野、中島に関する批評はナットクできなかった。
 著者はSF小説は勿論、小説の類は嫌いなんだと思う。もう結婚して子供もいる東浩紀は1971年生だし、若者としてカウントされないかもしれないが、最も若者たちに影響を与えている言論人の一人であることはまちがいない。だから、著者は東もやり玉にあげたのだと思うけれど、本書で一番、切れ味が悪かったですねぇ。
 でも、この新書のスペースでその他、香山リカ三浦展藤原和博藤原正彦坂東眞理子荷宮和子寺脇研などを、各個撃破するにはあまりにも消耗戦になりはしなかったか。著者の武器庫は巻末に「引用・参照文献」として掲載されているが、思想哲学書・小説の類はないですねぇ。
 《若い世代に限らず、若者論が関わってくる分野で重要なのは、「世代」概念の呪縛から脱することではないだろうか。すなわち、この世代はこれこれこういう環境で育ってきた世代なのだから云々、という決定論を乗り越え、普遍的な判断基準に基づいて種々の問題を検討することだ。/普遍的な基準とは、すなわち科学であり、人権であり、経済であり、法である。例えば、ある人が何らかの理由で困窮している場合、それは経済的な問題であり、また政府による生存権の保障の問題である。そして、現代の多くの問題は、これらの側面で解決できるものが多い。/下手に壮大な社会論、もしくは世代論に手を出してしまうと、議論は無意味な世代間闘争に陥ってしまうだろう。現在、決してよくない状況に陥っている人たちへの救済は、本来は科学的な実態の把握に基づいて語られるものであり、できるだけリスクを少なくして便益を上げる政策設計によって解決しなければならない。》
 すごくマットウな結語です。2004年から一貫して「俗流若者論」の批評的検証を行っている著者の核は戦後民主主義の倫理を信じ切って、その果実を採取すべく科学的なアクセスで問題解決を図ろうとしているのでしょう。だから、結論はこけおどしの目新しいものはないわけです。
 本書によって批判された言論人の誰か一人でも応答があれば、著者のこの論考が生きたものとなるだろう。それを期待します。全くのスルーなら死んでしまう。

 ネット論壇は進化の途上で、第二、第三の後藤和智氏が現れることは大歓迎です。僕も後藤さんを知ったのは、bk1の書評、彼のブログのトラックバック機能で知ったのがそもそもの知り始めだったです。
 後藤和智ブログで告知がありますねぇ。告知(H20.10.24): 後藤和智の雑記帳

おまえが若者を語るな! (角川oneテーマ21 C 154)

おまえが若者を語るな! (角川oneテーマ21 C 154)

【参照】
【書評】学問の対立―後藤和智『おまえが若者を語るな!』: メディア論的生活 ver.2.0
【速報】東浩紀の10時間シンポジウムに行ってきた: メディア論的生活 ver.2.0
http://labs.spicebox.jp/shinbun_maker/v/b07c124ca3dbe5515e91bd5a30197c0e.html