滔天は天心と出会わなかった

隔月誌『オルタ』の最新号の特集は「労働開国」で先日観た映画「この自由な世界で」の状況はこの国と無縁ではない。「オルタ」特集で、ある論者が言ってたように、最後に残された既得権益が「国境しかない」としたら、(2)の反革命ナショナリズムに動員されやすい状況だとも言える。
だからと言って他にオルタな既得権益がなければ、そのような動きを阻止することは困難であろう。それとも、格差を超えて仲良くワークシェアリング出来るかどうか。
レジュメから引用します。

「福沢が日清戦争の勝利を文明の勝利として随喜しているとき、したがって福沢が思想家としての役割をおえたとき、また日本国家が近代国家としてゆるぎなくなったとき、福沢の批判をテコにしてそれが生まれた。その一つは、滅亡の共感によってマイナス価値としてのアジア主義を価値としての文明に身をもって対決させた宮崎滔天山田良政の場合である」

生まれたそれがアジア主義だと言うのです。
・革命的アジア主義の誕生(1)
そしてそれが、→思想的アジア主義岡倉天心(=不二一元論)
       →抵抗としてのアジア主義宮崎滔天玄洋社吉野作造
そして、そのまわりには★心情的アジア主義相馬愛蔵・黒光、岩波茂雄を配置する。
だが、「心情は思想に昇華しなかった、言いかえると、滔天は天心に出あわなかった」のです。
そこで、大川周明の可能性と問題について語る。

「天心の文明観は、福沢とは対照的であって、その構造は大川周明のそれとよく似ている。もし天心の詩的直感を、論理的に分解して再構成すれば、大川周明の著作の一部または大部分と重なるかもしれない。」
しかし、大川が活躍した時期のアジア主義は「心情と論理が分裂している。あるいは、論理が一方的に侵略の論理に身をまかせてしまった」

上にくり返し述べられているように、(2)による(1)の乗っ取り、迎合、革命的アジア主義反革命化(体制化)に帰結する。
・「自称アジア主義の非思想性」
→平野義太郎『大アジア主義の歴史的基礎』(1945年)への辛辣な批判

・「第二次大戦中の『大東亜共栄圏』思想は、ある意味でアジア主義の帰結点であったが、別の意味ではアジア主義からの逸脱、または偏向である」
→「大東亜共栄圏」の論理を正当化する平野の議論は、「玄洋社アジア主義を矮小化して」いる。

それはそうと原テキストの「解説:アジア主義の展望」が手元にないので、あくまで中島さんのレジュメから孫引用しているわけで、興味のある方は原テキストに当たって下さい。m(__)m
次に「ナショナリズムと社会革命」『人間』1951年7月号(全集7巻)をテキストにしています。

・「革命のナショナリズム」(=国民主権ナショナリズム、下からのナショナリズム
・「反革命ナショナリズム」(=統治ナショナリズム、公定ナショナリズム
  ・「ナショナリズムには、革命に結びついたそれと、反革命に結びついたそれとの二種類があり、前者のみが正しいナショナリズムである、ということは承認しなければならないだろう」(全集7巻・15頁)
 →「日本の近代史は革命のエネルギイがそっくり反革命に転化される型の繰り返しであった」(全集7巻・16頁)
  「ウルトラ・ナショナリズムに陥る危険を避けてナショナリズムだけを手に入れることができないとすれば、唯一の道は、逆にウルトラ・ナショナリズムの中から真実のナショナリズムを引き出してくることだ。……それ以外に方法はない。」(全集7巻・20頁)

あえて火中の栗を拾うというリスクがつきまとう。中島にとって竹内のわからなさは、多分、ここの部分が大きいと思う。
思うに、森岡正博の『無痛文明論』という奇書がありましたが、結局、無痛文明を乗り越えるためには、徹底して無痛文明の中心に入り込んで「転轍」すると言った「わからなさ」を結論に置いたが、問題の解決はそれぞれが工夫しなさいと宿題を与えられたに過ぎない。それと同じような問題系だと思いました。本書も学者が書いた物でありながら、アカデミズムを逸脱した実存の臭みが匂う奇談の書でもありました。