初発のアジア主義

今、中島は三年越しで「頭山満」についての原稿を執筆中だとのことです。
頭山満について僕は不明の徒ですが、魅力ある人物であることは間違いない。
上梓されたら是非とも読んでみたい。それはそうと、昨夜、グーグル検索して、あれほど盛況だった会だったので、何らかのレポがアップされていると思ったのですが、これはというヒットはありませんでした。
でも、会のレポートではないのですが、こちらに竹内好に関する刺激的なブログ記事がありました。
3のレジュメ:ナショナリズム自由民権運動アジア主義
ここで、玄洋社について語られる。
玄洋社の三原則は「(1)皇室を敬戴ス可シ、(2)本国ヲ愛重ス可シ、(3)人民ノ主権ヲ固守ス可シ」です。
(1)の一君万民のもと、(2)のナショナリズムと(3)の自由民権がドッキングしているわけです。これは一体なものとして理解する。
「抵抗としての初発のアジア主義」として、玄洋社竹内好の「革命のナショナリスム」と重なるが、
それが何故、「統治のナショナリズム」としての国権主義へと変換したのか。
右翼の核にあったものは、「一君万民」の平等思想であって、ナショナリズムと平等とは矛盾しない。
そこから藩閥政治に対する批判、近代化路線への批判となり、実践として西南戦争をはじめとする武装闘争→自由民権運動へと駆動する。
だから、当然の帰着として、「西洋列強に植民地支配されているアジアの民への同情と救済、連帯」が生まれる。
そのような思想が「初発のアジア主義」なのです。
4のレジュメ:アジア主義の「脱亜」化
だけど、そのような「初発のアジア主義」は「反革命」に飲み込まれる。
(1)韓国併合(1910年)と内田良平
(2)孫文の大アジア主義演説(1924年)と頭山満
21ヶ条の要求が転換点だったんでしょう。
→「王道」から「覇道」へ
続きは後で…、