5.「超・国家主義」と「超国家・主義」のあいだ

中島岳志の『竹内好が残したもの』の講演レジュメに巻き戻します。
4.アジア主義の「脱亜」化によって体制側の論理へと変換するのが、(1)韓国併合(1910年)における当初は平等な合併だったのか、結局、併合の覇道になり、(2)孫文大アジア主義演説(1924年)において対華21ヶ条に基づく覇道を捨てるように警告するのですが、犬養毅にその旨を頭山満を通して伝える手はずが、頭山満に断られた。
そのポイントが中島によると、「王道」と「覇道」の岐路だったと言うのです。
ところで、↓のコメントで塩津さんからカキコがあったので、この問題とつながるから紹介します。

>アジアのほとんど誰も「国境を超えたアジアの連帯」なんか求めてないのではないでしょうか。

そりゃあそうだと思う。でも、中島の講演は戦前の歴史をトレースして、王道から覇道へと何故、変換していったのか、そのことを探って、現在のアジア問題に、そのような「覇道」が復活しない方策を考えるということなんだと思う。

>中国が求めているのはあくまで「中国によるアジア支配」「中国によるアジアへの覇権」でしょうね。

リアルな場では多分そうでしょう。ただ、中島が盛んにいっている「初発のアジア主義」は覇道ではない「理念としてのアジア主義」であって、僕の理解では、理念としてはわかるけれど、実際に政治の場では「王道」は生き延び得るのか、そこには「ユートピア幻想」に似たものがある。ユートピアである限り、「妄想の王国」に犯される危うさがある。だから、次のレジュメで「5.『超・国家主義』と『超国家・主義』のあいだ」で、頭山満の次の世代について論じているのですが、結局のところ竹内好に「『大東亜共栄圏』なんていうのは、思想性なんて、何にもない」と断じられるわけ。「西洋帝国主義の犬となるのか、ならない」と、「初発のアジア主義」は王道を理念においたアジアのまなざしのもと、国境を越えた「超・国家主義」に普遍性を仮託して、革新右翼が台頭して、北一輝大川周明満川亀太郎猶存社を結成(1919年)し、分裂後、大川周明安岡正篤満川亀太郎が行地社を結成するわけ(1925年)。その綱領の(7)に世界の道義的統一なんてある。上に紹介した孫文の大アジア主義演説とつながる普遍性が確かにある。他の綱領も中島のレジュメから引用。
(1)維新日本の建設、(2)国民的理想の確立、(3)精神生活に於ける自由の実現、(4)政治生活に於ける平等の実現、(5)経済生活に於ける友愛の実現、(6)有色民族の解放、そして(7)につながるわけです。
北一輝の『日本改造法案大綱』…「世界連邦」実現への意思。
プラタープの世界連邦運動との連帯
石原莞爾日蓮主義と最終戦争論…「世界連邦」の理想
彼らの方便は「アジアの王道による世界の統一のための一段階としての植民地支配」を容認することになる。
アジア主義に限らず、初発にしろ、理念であるかぎり、○○主義はなんでも、一段階としてという挿入が入れば、変色するものであろう。
そう言えば僕が読んだ白井聡の『未完のレーニン』は、その革命の困難さに言及して、それでも尚、「初発の○○」をこの地に実現させるための方策を作者なりに解いた力作であった。
そして、中島は普遍思想が体制のイデオロギーに回収される道行きを示す。

・「革命的アジア主義」=「思想的アジア主義」=「近代の超克」=「世界の道義的統一」という目的のために、段階的な手段として「反革命アジア主義」=「政略的アジア主義」=「アジア諸国の支配」を容認、そして→「大東亜共栄圏」へ

このレポは続きます。
ところで、行地社の安岡正篤と言えば、どうしても細木数子を連想する。