四冊脈絡なく読みながら、

日時計の影

日時計の影

モロイ

モロイ

[rakuten:book:13056836:detail]
上の書影は、何ら関連性がないと思いますが、『日時計の影』だけは読了しました。中井さんの文章のリズムが心地よく息継ぎできて気分が良くなりますが、ベッケットの『モロイ』は延々と改行がなく、いまだに最初の改行に行き着いていない。もう一週間も読んでいるのに…。
杉森久栄の『浪人の王者 頭山満』は昨晩、リサイクル整理しようと棚にあったものを読み始めたら、まるで、講談師の語りを聞いている面白さで、今も読んでいます。読み終わったら、欲しい方にリサイクルとして提供しますよ。
高橋悠治の『きっかけの音楽』は図書館から借りたもので、珠玉のエッセイ集ですが、音符の読めない僕にとっては敷居が高い本ではあります。

 この旅行では、いろんな場所で演奏した。芝居小屋からはじまり、ロフトや公民館、病院の受付、ホテルの結婚式場、土蔵、喫茶店など、それにコンサートホールでも、それぞれの街で主催してくれた人たちも、ともだちのともだちで、この旅はインターネットでのやりとりから始まった。これは「水牛楽団」時代とはちがう。あの頃は、市民運動の波があり、組織の問題で文化活動も宣伝手段と考えられていた。いまは運動の統一目標や上位下達の組織は、体制側に移ったようだ。いまは変化する流れのなかで、ゆるやかな結びつきと一時的な協力が見え隠れする。そのことの良し悪しを論じるのは外側から見ている人たちだろう。魚の群れがあらゆる方向に回遊していながら、ある時いっせいに向きを変えるような、バランスのゆらぎと思いがけないその崩壊が、固定した中心を作らせない、ちがういいかたをすれば、たえず焦点を移動させている、そんな運動をおのずから作っている、そんな時代だ。インターネットは手段というより運動そのもののたとえになっている。ふだんは見えないが、必要な時にひらいて更新することができるような、人びとのかかわりかた。(167頁)

頭山満は「歩いて、歩いて」国中を彷徨して、様々な人びとに出合い、一宿一飯の恩義に預かりながら、運動の基礎固めをしたわけだが、さて、インターネットの時代においては、新しい人びとのかかわりかたがあるんであろう。だけど、地元の「白ばら推進員」の一人として選挙のインターネット投票は「何故、実現しないのか?」って言う質問を行政にしたことがあったが、常に「検討しています」って言う回答でしたね。もうそろそろ、インターネット投票の実現に関しては積極的にチャレンジすべきだと思う。