私の志集

前日の記事に思い入れもあってか、ブログの記事を読んで思わず涙腺が緩んだのは初めてかも知れない。
ツイッターではかような出来事は多分あり得ないとは思うけれど、街角で詩集を売る人は「あの時代」には結構、見受けられた。
僕のいた本屋でも自費出版の詩集の持ち込みがあったけれど、精算が面倒なんです。お客さんにフリーで差し上げるのなら受け入れるとレジ前においたこともありました。
でも、思いきって店頭の一角を提供するから「私の詩集」を店内で立ちん坊で売ってもいいよとのアイディアがあったことを思い出しました。
実現はしなかったけれどねぇ。そんなことがチラリと念頭を過ぎりました。
「私の志集」はたけうまさん経由で北尾トロさんの記事です。
やはり、生身の身体を曝すことの強さに僕の涙腺が緩んだのかもしれない。

ぼくはこれまで一度たりとも、群衆の前に身をさらして何かをしたことがない。この連載で詩を朗読したといっても、あれはそのための場だった。彼女のように心に死の決意を秘めた行動はできないとしても、大勢の人の目にさらされることに耐えられるかどうか、やってみる価値はあるように思う。
 手描きではうまくできないのでワープロを使い、首から下げられるように細工する。売るのは自分で作ったミニコミ誌。文句は〈私が作った本「廃本研究」を買ってください〉にした。出来上がったものを下げて鏡を見ると、映っているのはカッコ悪い中年男の姿だ。
 でもこれで行く。これが自分なのだ。短い売り文句に興味を引かれる人などいやしないはず。そんなものよりモノを言うのは、立つ者の存在感のはずである。少なくてもぼくは、詩に興味があったからではなく、彼女の無言のエネルギーに惹かれたのだから。
(http://www.vinet.or.jp/~toro/genko/syowa2.html)

若い頃、あることの治癒のために一人で群衆の前に身を曝したことがあったが、今、出来るだろうか、やってみたい気がする。でも、ビッグイシューと違うからなぁ。