がん登録/エンディングノート

がん哲学外来の話~殺到した患者と家族が笑顔を取り戻す
がん哲学外来入門
がん哲学外来 メディカルタウンを追い求めて
昨日は北河内サイクルロードをママチャリで菜の花に包まれて病院まで走りました。
素晴らしい天気でした。でも、今日は、一転、肌寒く雨が降りしきる。
病院の図書室に『がん哲学外来』などを寄贈。
ついでに、「がん登録」のやりかたを訊く。
家で書類を整理していたら、大阪府医師会 Malignant Tumor 届け票」なる書式が出て来て、
「あれ? がん登録をするために、病院、もしくは大阪府の健康医療部でもらったのか、書いて提出しなくては…」と義務感にかられて、記入し始めたが、結構、専門的で患者が記入するのではなく、専門の医療従事者が記入する届け票みたい。カルテに近い。
案の定、医療ソーシャルワーカーの人に「患者の人がこの届け票を持っているはずがないのですが…」
そうか、資料として病院か、府庁でもらったのですねぇ。民主党の故山本さんが、「がん登録基本法」に頑張ってきたし、日本は特に「がん登録」に関するデータが個人情報の問題もあって100%の収集が困難だと聞いているから僕なりに積極的に登録しようと意気込んだのです。
「そうですか?病院側の事務局が届けるのですねぇ」「でも、届けたという報告が患者側に知らせないわけ?」まあ、そんな疑念があるわけですが、ソーシャルワーカーの説明では「100%を目指してがん登録の届け」を出すとのことでした。
最近、雑誌の付録でエンディングノートなる小冊子を手に入れたので、この届け票は使える。
(1)過去=個人史、(2)現在=資産・病歴、(3)未来=相続・葬儀
こんな章立てで、僕なりに「エンディングノート」を編集してやりまひょう。
老母に付録のエンディングノートにあった「親戚関係」の系統樹を書かしたら、別のページの「献体」の項目に目をとめ、「あんた、せめて献体はしなくては…」と言われた。いままで、何の社会的貢献をしていないので、「身体」ぐらいは提供しなさいと言うこと。「臓器移植」の提供は転移しているリスクがあるから、ヤバイから無理だけど、献体なら大丈夫。存分に未来の医療の進歩のために使って下さい。多分、もう痛くないから。
5月7日まで「丁半」のサイコロを振らなくてはならない。プロセキソール錠(ホルモン剤)か、ドセタキセル(抗ガン剤)」。まだ、決めかねている。
多分、当日、担当医の顔を見て決める可能性が大です。前もって決めていても突如変更する。そんな「感情経済学」性が僕には強くあるから、予測しがたい。これも茂木健一郎さんが、言う「偶有性」に近いものに任せたいというものがあるのかなぁ。「半分必然、半分偶然」と言った偶有性
茂木健一郎 クオリア日記: 「偶有性」について