平和のための部隊

大澤真幸THINKING「O」創刊号大澤真幸THINKING「O」第2号
大澤真幸の『O 創刊2号』(特集「民主党よ、政権交代に託した夢を手放すな」)を読む。対談ゲストは政治学者の姜尚中とかって大澤さんのゼミ生でもあり、現在民主党議員の政策秘書をやっている小木郁夫です。彼の京都大学での卒業論文は「現代日本アジア主義」です。読んでみたいですねぇ。
今日はとりあえず、姜尚中との対談部分をちょっと引用してみます。

姜 やっぱり日本なりの何かは必要でしょう。グリーンヘルメットでもいいや、最小限の警備でね。どういう人がそのヘルメット部隊に入るのかわからないけれど、武力を最小限ににして海外に行くことを前提にしてリクルートする。それは場合によっては人命に関わるかもしれない。要は限りなく非武装。そういう平和部隊憲法第九条の精神にそってつくる。医療が必要だったり、環境破壊の復旧のときに、場合によっては戦地まで行く。そういう話であれば、一貫性しているし意味も出てくる。
大澤 ぼくとしては、いまおしゃっていただいた考えに近いんですね。日本の軍隊は、事実上軍隊なので戦地に行けない。ヘンな話で紛争地帯が一番武力を必要としているんだけど、自衛隊は軍隊だからいけませんとなる。事実上の軍隊ですから、そこで戦争されちゃ困るんですよ、と(笑)。逆に言うと軍隊でなければ行ける。そういうふうに発想を変えてゆけばいい。
姜 そうなんですよ。
大澤 いまは、喧嘩をしている人がいたら、それを見て見ぬ振りをしている人が一番平和に貢献している人となってしまっている。けれども、どうもそれは違うんじゃないか。怪我をしている人を助けたり、紛争を止めに入ったり、なんか積極的なことができるんじゃないか。ただし、どちらかに加担して、俺もポカスカ殴るぞというのは違う。いま集団的自衛権の範囲でやるにせよ、あるいは国連中心主義でやるにせよ、殴っていい状況をどうやってつくるかという議論になっています。ぼくの関心は、誰も殴らないで、介入する方法の可能性を探ることです。
姜 ぼくも同感ですね
大澤 たとえば、アメリカがアフガニスタンをガンガン空爆している、そのときにどちらかに味方しなければならないと思っている。タリバンの味方なのかアメリカの味方なのか。
 そのときに、どちらも味方だと考えるのです。アメリカも生死がかかっているし、テロで大変な目にあった。アフガニスタンも大変な状況になって、確実に困っている。だから正しいか正しくないかという判断を抜きにして、まずは助ければいい。あいつとは軍事同盟を結んでいるから助けなければならないとか、そういうことではない。そこには困っている人が確実にいる。だからどちらも助けるんだということです。喧嘩をしていて、両方とも怪我をしている。そのときにAさんの怪我は仲間だから治すけれど、Bさんは治さないというのではだめです。Aさんには救護班がついているけれども、Bさんには誰もいなくて死にそうになっているのであれば、Bさんを助けることになるでしょう。要はアプリオリにどちらかの理念に服するものを助けるのではなく、無差別的に助けることを前提とした積極的な平和主義があり得ると思っています。ただこれは先ほどのリーダー論の話で言うと、半歩どころかずっと前の方まで行ってしまっている。すぐにみんなが、その考えを待っていましたと思ってくれるような考えではないでしょう。
姜 大変なことを言いますね。
大澤 すごく先のことを言っているのかもしれません。ただ長期的にはそのくらいのビジョンという気持ちが必要だろうと考えています。
姜 ぼくはもう六一に近くなってしまったけど、もし自分が若くて、命の保障はないかもしれないけれど、そういう部隊を作って、それも個人の自発的な意志でやるんだということであれば、それはいいと思うでしょう。あとは政府が、国民がどこまでサポートできるかの問題があるけれど。
 本当に憲法第九条を世界に広げるんだったら、そこまでやらないと。それが本当の意味での積極的平和主義というものですよ。今回のイラク支持でも、北朝鮮のことがあるから、万が一の事態にそなえて、イラクの件は今回は支持しましょうみたいなことになっている。それじゃだめなんですね。いまおっしゃったように、こちら側あちら側というサイドの思想に立たずに、困った人がいたら、その人のところに駆け寄るということですね。撃ち合いをしているのを、ただ見ていましょうというのは共鳴されなくなってきている。
 訓練をして、専門的知識を持って、最小限度の軽武装で戦地に赴く。そういうことをやりだせば、日本は普通の国ではなくなるかもしれないけれど、「日本には九条があるからね」と、それはもう別格なプレステージが得られる。意外とぼくはそこに応じたいという人が出てくるじゃないかと思う。
大澤 可能性はありますよね。いまの人が、じゃあ行くかとなるとどうかわかりませんけれど。実は『O』の創刊号で、中村哲だんとお会いしました。ぼくはそういうことを考えるときに、何となくイメージにあるのは中村さんたちの活動なんです。(p32~36)

創刊号での中村哲との対談は深い叡智と身体性を感じさせる素晴らしいものでした。尊敬にあたいする人を一人でも多く見つけると、元気と勇気をもらえますねぇ。
還暦になっても赤いチャンチャコのハイテク軽武装でイケルんじゃあないかと思いますね。そういうリクルート回路が構築されてもいいとは思う。別に若い人達がメインにならなくても、いいわけです。むしろ、団塊の世代の人達の方が色んな現地に合った技術の蓄積を持っているかもしれない。六十一歳の姜さんでも大丈夫ですよ。