パパ、ママ、ピカドンで、

ハングリー、ハングリー♪
ものごころつく頃に最初に聴いたメロディーらしいものは、
これだと思う。ジープを追っかけた風景が過ぎる。
ギヴ・ミー・デモクラシー - 葉っぱのBlog「終わりある日常」
前日の内田樹『抑止力』の記事で、デジャ・ビュ感に襲われる。
抑止力 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」
歴史は一度目は「悲劇」として、くり返された二度目は「笑劇」として、(大澤真幸/ゲスト姜尚中・小木郁夫『O2号ー民主党よ、政権交代に託した夢を手放すなー』「政権交代は笑劇か」ー

 長い迂回路を通ってきたが、我らが政権交代もこれと同じである。誰もが政権交代は論理的には可能なことを知っていたが、そんなに易々と現実に起きるとは思っていなかった。その政権交代の結果をいくらでも批判できるし、また批判すべきでもある。しかし、同時に、それは、我々のハートに、カントが述べたのと同じように熱狂を産み出しもしたのである。その熱狂は、払っても払っても消えない幽霊のような夢が、我々の中に宿されたことを示している。官僚的行政とは別の政治が可能だという夢、アジアとの友愛的な連帯が可能だという夢、格差のない平等な社会という夢等々が、である。無論、これらの夢は、かなえられはしないだろう。しかし、そうした現実を冷笑的に批判することよりもっと大事なことは、現実とは異なりながら、十分に実質のある可能性として取り憑いてしまった夢ーー現実の潜在的な裏面としての夢ーーを見据え、保持し続けることである。ー『消えない幽霊のような夢の生成』(p102)