元サルたちの「悲しい文化」

藤原新也さんのShinya talk


http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php?mode=cal_view&no=20111219「パンソリ」
こういう視点もあるんだ。違った風景が見える。民主主義ってなんだろう。
◆40年以上前に(朝日新聞日曜日版昭和45年9月13日〜翌年6月21日)連載された安岡章太郎の『サルが木から下りるとき』(角川文庫)を読了。

 サルが木から下りて、地上に直立し、手をつかい始めたときから人類が生まれたという。しかしことによれば、いまは或る種の進化したサルは手を使って働くことのムナシサを知って、また木の上に上りはじめ、一方、他のサルは堂々と働きつづけ、地上をさまざまの工業製品やら廃液やらで足の踏み場もないほど埋めつくしつつあるのかも知れない。
 勿論ふたたび木にのぼったサルが完全に退化したとはいえず、地上で働きつづけているサルが、今後の地球を支配するかどうかもわからない。しかし何かが、いま変ろうとしていることだけはたしかである。(p224)

 只今、現在の警句にもなっていますねぇ。さて、ふたたび木にのぼったサルが単なる復興ではなく新しいステージにチャレンジするのか、それとも原発であれ、何であれ、廃液まみれになっても地上で働きつづけるのか。