保坂和志/5/27記(旧ブログより移動)

生きる歓び猫に時間の流れる (中公文庫)
猫に時間の流れる』(新潮社)紹介: 野良猫のクロシロは、読み終わって随分経つのに、ひょんな時に、ひょんなところで、思い出す。詳細な筋書きは定かでないのに、クロシロの存在感だけは澱となって沈殿している。作者はクロシロを擬人化しているわけでも、暗喩として作者の内面を表現しているわけでもない。
ひたすら、クロシロを知ろうとしている。その想いの流れが、クロシロに感応しているのか、そんなものはわからない。ただ、クロシロの細かい身振り、行動を小説家の力量で描写していく。

外にいる猫たちはきっと固有の内面の領域を持っている。その内面の領域は隠れる場所が知られることがないのと同じように人に知られることがなく、生きているあいだだけ存在し、それが終われば消える。人はある一匹の猫が身を隠して休んでいた場所を知ることがないし、その猫の内面で起こったことも知ることがない。ー46頁

勿論、人間の内面とは別文脈で内面を使っているのだが、人格/猫格に価値的な差異は設けていない。ヘンな言い方であるが、この野良猫に「友情」を感じたのです。作者は後景に隠れてしまい、ただ、クロシロが、次第に「現前化」する。ヤツのマーキングのオッシコが、こちらの自意識を凌駕して、逆にクロシロに見詰られているような奇妙な読後感なのです。ぼくは猫を飼った経験はない。愛猫家でないぼくにかような感慨をもたらせる言葉の力に、絵筆でなくとも、カメラでなくとも、文字の描写力に改めて驚いたのです。