ハンナ・アーレント/記憶すべきパラグラフ

アイヒマンという人物の厄介なところはまさに、実に多くの人人が彼に似ていたし、しかもその多くの者が倒錯してもいずサディストでもなく、恐ろしいほどノーマルだったし、今でもノーマルであるということなのだ。〔……〕この正常性はすべての残虐行為を一緒にしたよりもわれわれをはるかに慄然とさせる。なぜならそれは、〔……〕この新しい型の犯罪者は、自分が悪いことをしていると知る、もしくは感じることをほとんど不可能とするような状況のもとで、その罪を犯していることを意味しているからだ》―『エルサレムの−悪の陳腐さについての報告−』(大久保和郎訳、みすす書房)―

ぼくたちはこのことを学習したはずである。歴史を学ぶということは、かやうなことを知るということでしょう。何故、同じ事を戦場では繰り返すのか、いや、戦場だけとは限らない、ある種、“例外状態”ともいうべきものでしょう。しかし、その例外状態は足元に“見えない形”でとぐろを巻いている。
『アーレント=ハイデガー往復書簡-1925年〜1975年-』
アーレント=ヤスパース往復書簡1暴力について―共和国の危機 (みすずライブラリー)イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告アーレントとハイデガーアーレント=ハイデガー往復書簡