小説をめぐって

保坂和志さんは、現在連載中の『小説をめぐって』(雑誌新潮)の四月号で、
こんなことを書いていました。

だから小説は読んでいる時間の中にしかない。音楽は音であり、絵は色と線の集合で、どちらもことばとははっきりと別の物質だから、みんな音楽や絵を言葉で伝えられないことを了解しているけれど、小説もまた読みながら感覚が運動する現前性なのだから言葉で伝えることはできない。
 批評家・評論家・書評家の仕事は「読む」ことだと思われているがそれは間違いで、彼ら彼女らの仕事は「書く」ことだ。音楽や絵を語るのと同じように、彼ら彼女らは書くものが、自分が読んだ小説と別物であることを承知で、それについて仕事として「書く」。
 「読むだけでは仕事にならないじゃないか」と言う人がいるかもしれないが、仕事にしないで「読む」人がいる。読者とはそういう人たちのことだ。批評家・評論家・書評家は、書くことを前提にして読むから、読者として読んだと言えるかどうか疑わしい。書くことを仕事としない読者でも、最近はインターネットで自分だけの書評サイトを持ったりすることもできるから、その人たちがどこまで読者として読んでいるかもまた疑わしい。書くことが念頭にある場合、ブーレーズの引用にある「仮想」「想像」「回顧」が働きやすく、読みながら現前していることへの注意が弱くなる可能性が考えられる。

これ又、正論ですね、頭が痛い。