勘違いの蕨野行

kuriyamakouji2005-09-18

村田喜代子の『蕨野行』を読みました。僕は小説(物語)を読みながら自分なりに筋書きを作りながら読み進む場合がある。特にストーリー性のあるものは横道にそれて自分の物語を編む。この『蕨野行』もそんな道草をしてしまった。読み始めは折口信夫の『死者の書』のように霊が里と山とでこだましているんだと思いました。姑と嫁の心の呼びかけが邦楽を背景に映像をともなって立ち上がる。音読の誘惑にかられるリズムは直に身体で読む痴れを教えてくれる。そして勘違いしました。この文春文庫版では『もの食う人びと』の辺見庸が解説を書いている。勘違いしたままエントリーした前日のブログのお詫びとして本書にまつわる辺見庸の一文を引用してみます。

 私にはなんとなく既視感がある。こうした老人たちをいつかどこかで目にしたことがあると思ってしまう。それも遠い昔ではなく、この数年のうちのこと。読みながら、しきりに老人の記憶をたぐり寄せた。思い出して、苦笑した。この国の老人ではなかったから。それは、ウクライナチェルノブイリ原発二、三十キロ圏の、立入禁止区域となっている村でかって出会った年寄りたちである。見渡すかぎりの無人の雪道で、なにかの影のように蹌踉として歩いていた。それが、『蕨野行』の風景に重なって見えるのだから妙なものだ。1986年の原発事故でいったんは住民の全員が疎開した。ところが、どこの疎開先も物価高で、一家の生活がままならない。老人は若者より放射能の影響が少ないと信じられている。で、子供や孫と離れて、千年は住めないといわれる立入禁止区域に老人ばかりが続々戻ってきた。実質的な口減らしである。彼ら彼女らは、外国から食料援助が届いても食べずに、疎開先の孫らに送っていた。放射性物質が濃く漂う空の下で、細々と汚れた畑を耕し、緩慢な死を待つ。が、夜ともなると、自家製酒を飲み交わし、自棄ともまがう活気を呈するのである。
 ボスニア紛争でも、破壊された戦場の村に老人だけが住んでいるのを見たことがある。いまは思い出せないけれど、アジアのどこかでも、ほとんどが老人だけの集落に行ったことがある。そして、老人たちのいる風景は国の別を問わずどこでも、『蕨野行』の登場人物もいうとおり、「男は必定、気細の者ならんか。女子は腹の座った者なるか」であった。[中略]
 にしても、いずれ死にゆくワラビ衆の、もの食う描写の凄さといったらない。食う、なんでも食う。食うたびごとに、つかの間の生がぎらりと輝く、その極限の体感のいかんをこれ以上ない表現で書き抜いていく力は、私には、ほとんど神がかっているとさえ思われた。[中略]作家が選んだのは、我執で共同体が壊れていくのではなく、共同体を維持したまま、成員の人間的個体差が最後まで善き煌めきを失わない過程であった。そして飢えの果て、困憊の果てながら、なお、[中略]
 「レンよ」/と、馬吉は言うなり。おれの体を我が胸の中にひしととらえこみ、/「おめも食いたし」/「狂うたか」/「食うておれの腹の中に保ちて。共に死に着かんか」/「もはや食うべき肉も無えやち」/「肉は要らず。おめの骨を食うなり」/おれは馬吉の腕を払い、雪の上に転び倒れたる。馬吉はドウとおれの上にのしかかり、/「レンよ。おめはいとしき者なり」/と呻きたるよ。