よつばと!

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 図書館から借りて読んだ『よつばと!』1,2,3巻は大当たり!でした。稲葉さんのブログで知って俄然、興味が沸いて読んだのですが、成る程、保坂和志の『季節の記憶』、『もうひとつの季節』のクイちゃんの振る舞いに驚き放しでしたが、「よつばと」も男の子と女の子の違いはあるものの、六歳ぐらいの子どもって、その予測しがたい動きには大人を驚かせるものがあるのでしょうね。大人の方が教わってしまうところがある。
 でも、こんな子ども達にお受験のプレッシャーが与えられるとしたら、六歳から生き辛い勝ち馬レースに参加して、「よつばと」、「クイちゃん」、そして、先日見た『ミス・リトル・サンシャイン』の「オリーブ」のような子どもは寓話として片づけられるのであろうか、そうであってはならないはずだ。
 まあ、僕の予想屋としての直感では結局、生き残るのは案に相違して「よつばと」、「クイちゃん」、「オリーブ」のような子どもたちで、山田詠美の『ぼくは勉強ができない』に登場する秀美君のような素敵な高校生になると思うのだが、さて、どのような大人になりますか…。
 ★ところで、本屋のほんねさんの本屋レポで、くすみ書房はまさに驚きに満ちた本屋ですね、よつばと! 
オンライン書店ビーケーワン:ぼくは勉強ができない中学生はこれを読め!

マンガミュージアムで陳列平台を椅子と間違ってしまった。

大人の塗り絵ノート 「鳥獣戯画」編
 少し、前のネタで恥ずかしくて公表しなかったんですが、夏目房の介さんの『京都国際マンガミュージアム』の記事を読んでいたら、やっぱし、方針としてお客さんが滞留しないように椅子をあまり置いていなかったのですね。ぼくはこちらの小学校の履歴を展示した教室内で窓際にこの学校のことを書いたマンガ単行本が長テーブル?にフェイス陳列されていたから、ゆっくりと拝見しようと、無意識に、ソファーと解釈して当然のごとく、70キロの体重で座ったのです。「ガッチャ!」って、イヤな音がしました。一瞬、何が起きたのかわからず、僕はフロアに尻餅をついてしまいました。陳列用の低い長平台だったのです。スタッフのみなさんが飛んで来ました。硬貨ガラスか、プラスチックか確認にしませんでしたが、底が抜けたわけです。きちんと固定していたら割れていたかもしれないが、割れる前に外れたので事なきを得たのでしょう。僕は床に座り込んだまま冷や汗をかきました。
 スタッフの方が「大丈夫ですか」と声をかけてくれたのですが、高さと言い、椅子と間違います。まあ、子どもの視線からではそんな間違いは犯さないと思うのですが、僕は当然のように座ったのです。ずら〜と本を並べたディスプレイをしていれば、本があるからバリアになったかもしれません。少なくとも「待てよ!」という判断が働いたかもしれない。スタッフの方もそういう学習をしたのか、今度は僕のようなトンマオヤジの振る舞いを防御するために空間を置かない陳列をやり直しました。
 でも、やっぱし、図書館を併設するような閲覧室が欲しいですね、ただ単に棚を眺めるだけでは物足りない。勿論、立ち読みは出来ますが、狭い廊下だから、長時間の滞留は無理です。チケットの半券を持ってその日に限って出入りが出来るから、図書館方式が無理なら、会員登録をして、一日貸出を認めて近くの公園、喫茶店で読んで返す。そのような仕掛けをしないと、リピーターは難しいのではないでしょうか、まあ、珍しいアニメ映画の上映会とか、マンガに特化したミュージアムとしてリピーターを惹き付けるイベントを打ち続けることも必要ですが、貸出、ゆっくり閲覧、そんな地道な方途も大切でしょう。今のところ、全体像が見えにくいですね、立地はとてもいいところです。
 ただ、点としてのマンガミュージアムが一つの波紋として大阪ミナミに自然発生的にアメリカ村が街として広がりをもったようなムーブメントの切っ掛けになればいいですね、烏丸通りは静かな大人の通りです。ナンバの日本橋や、東京のアキバとは違う街通りなので、関連店舗、コミック専門店とか、フィギュアの店とか、ゲーセンとかをなかなか出店出来ないと思う。そんなサブカル通りではないのです。まだ河原町通りの方がそのような猥雑さがあります。でも、御堂筋の西側もそうだったのですが、あんな風に変貌したわけです。まあ、こちらの烏丸通りはビジネス街、ブランド街っていう感じで、ちょいと上品に構えた「京都国際マンガミュージアム」といったところでしょう。アカデミックなマンガの拠点として、サブではなくメインカルチャーとしての自負からメッセージを伝えようとしているのでしょうか。日本だけではなく世界を見据えているのでしょう。まあ、鳥獣戯画の伝統があるのだから頑張ってもらいますか。

ゲドめ!竜の落雷でとんでもない目にあってしまった。

スタジオジブリ・プロデュース 「ゲド戦記歌集」岡田准一 改メ 青木宗左衛門 (講談社 Mook)
 今日は厄日だったのでしょうか、魔が差して、映画『ゲド戦記』を観るために国道一号線沿いのジャスコ久御山にチャリンコで出かけたのですが、冒頭から主人公の王子アレンが悪魔(影)が乗り移ってというか民から慕われているとしか言いようのない父王を唐突に刺し殺す。
 悪魔が殺したと言い続けるあのペルー人の少女殺しと同じではないか、まあ、それはいい、その父親殺しの神話的な問いが映画を通して補助線としても語られるのかと思いきや、全く触れられない、あれ!あれはどうなっているの?と最後まで首をかしげてしまいました。
 それよりもっとわからないのは、監督のいわんとした本筋のテーマは「生きること」、「いのちを大切に」という当たり前のクリシェなのですが、でも実際のアレンは最後まで「命」を大切にしないのです。是枝監督の『花よりもなお』の主人公と同じ岡田准一でしょう。でも、こちらは徹底して「いのちを大切にします」、まあ、野犬を殺して長屋連中で食べるシーンがありますが、何せ、犬公方徳川綱吉の時世ですから、でも、仇討ちの因果報復の連鎖を断って岡田准一は仇討ちをしないで、ちゃっかり長屋の連中と一緒に仇討ち芝居で藩から報奨金をせしめる。そんなしたたかな大人の映画なのです。まあ、この映画と比べると大人気ないが、子どもの映画なんだからと言ってもこれではなぁ…、よう薦められません。にもかかわらず声高に説教するのです。
 具体的に書くとネタバレになるからやめますが、腑に落ちない気持ちのまま、気分転換にとジャスコで冷やかしショッピングをしようとウロウロしていたら、突然、雷、大雨、館内に旭屋書店もあるのですが、立ち読みするどころか、停電になりました。
 それで、尿意を催しトイレに行ったのですが、手を洗おうとしたら水が出ない、センサー感知の自動ですからね、やはり水道の栓は手でひねる方が災害時に対応出来るのではないですか、電気が止まっても水道管が破裂しなければ、水が出る。これじゃあ、停電でセンサー感知のものは水に限らず止まってしまうではないか、しかし、自家発電の装置はどうなっているのかな、こんなデカイショッピングモールなんだから、あるはずですよね、
 結局、復帰まで10分ぐらいかかりました。それでも外は大雨、直径70cmの雨傘(580円)を急遽購入して雨の国道一号線を傘さしてチャリンコでおたおた走りました。危なくて仕方がない、オマケにやっと、国道一号線からおさらばして家に向かいましたが男山周辺はアップダウンがきつく6段変速のギアチェンジを細かく切り替えて走行しても顎が出ました。ぐったりです。
 何故、この映画を急に見ようと思ったのか、こちらの『きっこさんの日記 ゲド戦記』を先に読んで、だめ押しで宮台真司さんの「感情のポリティクス」が横行する背景に、「セカイ系」の人々が量産される現実があることを書きましたというエントリーを読んでいれば、こんな過ちはしなくて、テアトル梅田で『時をかける少女』を観ていたでしょう。
 魔がさした、いや影がさしたのでしょう。
 ★手蔦葵の歌は文句なく良かったですよ、この声質は僕のツボですね。http://www.teshimaaoi.com/index2.html
 ◆eireneさんが、板東さんの「子猫殺しは間引きの話」なんだと整理していますが、ゲド戦記の大テーマ「バランス」が大切なんだという文脈で言えば悪い魔女クモ(田中裕子)が殺されるのは「間引きの問題」かもしれない。そうやってこの映画を観れば、又、違って見えるかもしれないですね。でも、いくら考えたって「父親殺しは」唐突で説得を放棄している。
http://d.hatena.ne.jp/eirene/20060827/p1
◆そんな読解をすれば、竜が人間を食べることで、世界のバランスが取り戻せ、人馬一体ならず、人竜一体で「セカイ」が豊かさを勝ち取る。そんなメタフォーですか、アレンが竜となってクモを食べてあげれば良かったのに…。でも、食欲をそそる画ではなかったですね、せっかくの田中裕子さんの声だったのに、残念、無念。 

マンガ市場/千夜千冊

KINO Vol.1

KINO Vol.1

 昨日の毎日新聞夕刊(’06年6月23日)で『マンガ市場 止まらない落ち込み』熊田正史氏の記事がありました。熊田さんは元週刊ヤングサンデーの編集長で、現在京都精華大学でマンガプロデュース学を講義する先生ですが、こういうキャリアを見るとマンガはもはやサブカルではなくてメインカルチャアなんだと、そのあたりの認識を精査しないで、熊田さんが言う「真の批評 不在の悲劇」と言っても、ぴんと来ませんね、昨年のマンガ単行本の売り上げは2602億円、マンガ雑誌の売り上げは2421億円で、昨年にはマンガ雑誌の総発売金額がはじめてマンガ単行本の発売金額を下回ってしまったということです。その差は200億円ですがその意味するものが大きいと警鐘を鳴らし、その最大の原因が「マンガ批評の不在」だと言うのです。
 そしてこの危機を乗り越えるために黒衣を脱ぎ捨てて編集者から真のマンガ批評家が生まれることを期待すると書いているわけです。熊田さんの見取りは、もし、雑誌の落ち込みがこのまま続くなら恐らく4,5年で日本のマンガ市場は崩壊するだろうということです。しかし、アニメ!アニメ!ニュース(http://animeanime.jp/news/archives/2005/12/2005106101231.html)によれば、アメリカで日本のマンガが売り上げを伸ばしているのですが、日本円にして200億円で、ヨーロッパ、アジアを含めた日本マンガの売上高、ブックオフを含めた新中古書店でのマンガの売り上げのデータを合算したマンガ売り上げは間違いなくマンガ雑誌の売り上げを大幅に越えているでしょう。
 問題はマンガ雑誌の落ち込みなのです。かって200万部も売っていたビッグコミックはたったの20万部で、週刊モーニングは30万部、まあ、それでも数十万部という数字は凄いと思いますが、数百万部の異常を体験した目から見れば、現在のマンガ市場が異常なんでしょう。その売り上げの低迷を生んだ一端が無知で愚かな批評だと言うのです。

 [……]マンガは己の文体で己を語れない。マンガが己を語ろうとする時、己の文体であるマンガで己を語れないのだ。批評不在というマンガの悲劇がここにある。(中略)マンガをマンガで語れない以上、マンガ表現とは無縁な者たちがしたり顔でマンガを語り始めることになる。福田恒存が「文学に対する不信」で言う素人批評家の登場である。マンガ家に失笑される記号論や構造論、己の見識をひけらかすだけの幼児的な批評の氾濫である。
 では、マンガ家以外にマンガを語れる人間はいないのだろうか。実はいるのである。それはマンガ編集者である。 

 そして熊田さんの大学で発行しているマンガ評論誌『KINO』(季刊、河出書房新社)を紹介しているのです。初版一万部が売れて6千部も増刷したという。大学出版物としては異例の売り上げでしょう。その原因がこの評論誌ではできるかぎり編集者、原作者といった方々に執筆を依頼したことがヒットにつながったのであろうと分析しているわけ。
 しかし、こちらの大学でマンガプロデユーサー学という講座があるのには驚きました。確かに大学も変わりつつありますね、マンガがサブカからメインに知らぬ間になってしまっているような変貌があるのでしょう。PR誌『UP』6月号で高山宏はこんなことを書いている。

 大学新学期が始まり、ぼくの勤める大学でも数年に渡る「改革」のごたごたを経て、とにかく新しい何かをスタートせざるをえない。ぼくなども長い間やってきた文学の教師をやめて、視覚文化論(含美術史)を講じ、視覚文化論の充実を要請した二十世紀の知の変遷史を記述してゆくという途方もない構想で動き始めた。さすがに怖い。(かたち三昧30『哲学する「映像の力」』より)

 松岡正剛さんの千夜千冊が刊行されますね、四谷書房さん(http://yotsuya.exblog.jp/3773317/)からの発信です。

松岡正剛 『千夜千冊』2006年10月刊定価 99,750円(本体価格95,000円)予約特価 89,250円(本体価格85,000円) (2006年9月末日まで)

 マンガは何十万部の世界で悩んでいるのに、松岡さんの『千夜千冊』は何千部の世界でしょうね、せめて近場の図書館を始めとして資料購入して欲しいですね、さっそく、京、大阪のの図書館にリクエストを出しておきます。リクエストの数が多いと資料購入しやすいのです。皆さんもどうぞ…。

ドラえもんの記憶

オンライン書店ビーケーワン:生きて死ぬ私オンライン書店ビーケーワン:生きて死ぬ私オンライン書店ビーケーワン:脳とクオリア知覚の扉 (平凡社ライブラリー)ドラえもんぬいぐるみ サッカー日本代表バージョン
 かぜたびさんのエントリー『子供の未来と、哲学や神話』で記憶のことに触れている。

 記憶というのは、過去のことだと思っている人がいるが、実はそうではない。人間の未来は、記憶の中に蓄積されているもので今だ具現化されていないものが、少しずつ顕現していくものだと思う。
 だから、記憶が豊かであればあるほど、未来も豊かなものになっていくだろう。豊かというのは、快適とか恵まれているという今日的な尺度ではなく、微妙な機微がたくさんあって、喜びも切なさも含めて、常に新鮮な驚きがあるということだ。
 すなわち、合理性と有用さに重きを置きすぎるコミュニケーションによって記憶が希薄化すると、その人の未来において顕現するものも希薄になる可能性がある。
 世の中をうまく渡ることができても、新鮮な驚きのない人生が良いものだとは思えない。

 「人間の未来は、記憶の中に蓄積されているもので今だ具現化されていないものが、少しずつ顕現していくものだと思う。」はちょうど茂木さんの『生きて死ぬ私』(筑摩文庫)を読了した余韻ではすんなりと、頷いてしまいました。本書はエッセイというか、人生論というか、論文のようなものというか、お世辞にも体系的とは言い難い、でももっとも茂木健一郎らしい本とは言える。知性と感性が交差する愛すべき本に仕上がっており、読み手を自由に羽ばたかせてくれるものです。一応章立てになっていますが、まるで、詩人か、科学者か、哲学者か、読者を混乱させる章立てです。
 第一章 人生のすべては、脳の中にある
 第二章 存在と時間
 第三章 オルタード・ステイツ
 第四章 もの言わぬものへの思い
 第五章 救済と癒し
 第六章 素晴らしすぎるからといって
 初出は1998年で、処女作『脳とクオリア』(日経サイエンス)に次いで徳間書店から刊行されたもので、今年やっと文庫になったのです。
 ところで三章のオルタード・ステイツ(意識の変成状態)で茂木さんはC・D・ブロードによる制限バブル説に言及する。「心のあらゆる属性は、脳の中のニューロンの発火の特性だけですべて説明できる」という「認識のニューロン原理」を基本的に支持しているのですが、「対外離脱体験」、「意識の拡大といった現象」が実際に存在すれば、ニューロン原理では説明出来ない心の性質が存在することを認めざるを得ない。そのような脳と心の関係について「認識のニューロン原理」を越えるかもしれない道筋を予感させる何かがあるとして、ブロードに触れるのです。ブロードは有名なハックスレー家の出身でオルダス・ハクスレーの『知覚の扉』(平凡社ライブラリー)から孫引用します。ー(『生きて死ぬ私』ー112頁ー)よりー

 ベルクソンが記憶と感覚知覚に関して提唱したような議論をわれわれは今までの傾向を離れてもっと真剣に考慮した方がよいのではなかろうか。ベルクソンの示唆は、脳や神経系それに感覚器官の機能は主として除去作用的であって生産作用的ではないということである。人間は誰でもまたどの瞬間においても自分の身に生じたことをすべて記憶することができるし、宇宙のすべてのところで生ずることすべてを知覚することができる。脳及び神経系の機能は、ほとんどが無益で無関係なこの巨大な量の知識のためにわれわれが圧し潰され混乱を生まないように守ることであり、放っておくとわれわれが時々刻々に知覚したり記憶したりしてしまうものの大部分を閉め出し、僅かな量の、日常的に有効そうなものだけを特別に選び取って残しておくのである。

 恐らくそれは誤解を恐れず言えば無意識に僕たちは神の認識をしているのだろうか、無限の記憶の中にデータ保存されている。そんな途方もなさでは、途方に暮れる。ニューロンの発火点のフレームの中で人間の認識で良きかなと禁欲するわけか。

 ブロードの主張を要約すれば、本来の知覚作用は、時間的、空間的に無限定であり、脳の機能は、生体の生存にとって有益な情報だけを認識するように制限することにあるということになる。この説を、「制限バルブ説」と名づけることにしよう。

 未来の記憶か、未来どころか、そもそも、時制に関係がないのでしょう。空間の制限もない。ドラえもんかな、まあ、この制限バブル説は茂木さんのクオリア解明とどこかで交差するのでしょうね。

14歳の海岸通り

kuriyamakouji2006-03-16

ALWAYS 三丁目の夕日 豪華版 [DVD]
 やっと、西岸良平の『三丁目の夕日』(小学館ビッグコミック連載中)の映画『ALWAYS 三丁目の夕日』を見ました。CG処理がここまできたのかと、そのことに一番驚きましたね、ストーリーのいいとこ取りの昭和33年の解釈が実際の昭和33年とズレ(僕は14歳であった。)が間違いなくありつつも、逆にCG処理がそのズレをリアリティを高める方向に作動したのか、僕はいつの間にか、昭和33年の広島県呉市の海岸通りに降り立っていましたね。
 映画は東京タワーが建設中で、映画の終りに完成する。僕の生家は乾物問屋でしたが、映画の鈴木オートと殆ど変わらない二階家でした。商売道具にマツダの三輪トラックもありました。二階の屋根は物干し台になっており、暗い少年(僕のこと・笑)は誰とも喋らず「戦艦大和」を生んだ海を眺めていました。当時、大和を築造したスキルが継承されたのか、呉の造船業は活況を呈し、世界一の大型タンカーが港に浮かんでおりました。街は徐々に変貌しつつあったのです。
 だが、生家は商売が上手く行かず、倒産するわけですが、その寸前の昭和33年度なのです。最早戦後が終わったといわれ、岸信介が政権を担っていた。34年には皇太子の結婚式があり、ミッチーブームで映画では力道山のテレビ放映がエピソードとして取り上げられていましたが、ご成婚の放映でテレビは爆発的に売れたと思う。
 でも、生家はテレビどころではなかった。翌年、倒産したのです。僕は地元の高校の二年生になっていましたが、やむなく大阪の高校に転校です。そしてそのドサクサの1960年に安保闘争があり、樺美智子の不幸があり、そして新安保条約が強行採決される。政権は池田隼人にバトンタッチされ、所得倍増がスタート。日本社会の目標は【経済成長】と左も右も結局は合意したのです。バブル崩壊までそれが続く。まあ、生家はそのような路線のために潰れたのですが、オヤジは一から会社勤めでスタート出来た。受け皿はあったのです。働く場所は沢山あったのです。
 この映画の昭和33年とは微妙な位置だと思う。東京の下町であり、転校した大阪の町であり、呉の町であっても事情は似ている。保守合同55年体制が起動して岸政権ががっしりと政治を行っていた。安保闘争の国民運動に発展したきな臭さはまだはっきりと顕在化していない、そんな政治の季節が到来する寸前の凪ですか、そんな空気であったと思う。この映画の風景はその当時の呉の中通りと似通っている。市電も走っていました。ただ、僕は東京タワーの変わりに海に浮かぶ夕日に映えた巨大タンカーを飽かず眺めやっていたのです。
 次の市民ホールの映画の上映は『男たちの大和/YAMATO』です。