ホットロードの二人のその後は?

 紡木たくの名前は知っていたしコミックのタイトルも勿論知っていたが、『ホットロード』はリアルタイムで読んではいない。別冊マーガレットに連載されたのが1986年だから、僕の子供たちぐらいの年代の若者達が愛読したのでしょう。延700万部も売れたらしい。でも、今bk1で書評検索すると思いが伝わります。そもそも、図書館にあったのを借りて読んだのは生田武志の『野宿者襲撃論』のあとがきでこんなことが書かれていたのです。

『<野宿者襲撃>論』を2003年に本格的に書き始めたきっかけは「前篇」の注記にある通りです。ただ、もう一つ個人的なモチーフもありました。それは、人生で経験し得ることのすべてがそこに描き込まれているとかって感じられた(文中でも少し触れた)紡木たくの『ホットロード』(1986〜7年)とはちがう形で10代の姿を描き出したいという願望です。
/暴走族の少女の物語である『ホットロード』は、野宿者襲撃問題と無関係ではありません。本書で触れた1983年の横浜・山下公園での野宿者襲撃事件の当事者の少年たちは、『ホットロード』の多くの登場人物の同学年でした。そして、横浜の暴走族を舞台にしたこの物語には山下公園さえ登場しています。『ホットロード』の登場人物たちは、83年の事件の少年たちと明らかに同じ空気を呼吸していました。扱った事例の多くが2000年代のものだとはいえ、この『<野宿者襲撃>論』が『ホットロード』とまったくちがう10代の姿を描き得たとすれば、それは『ホットロード』への18年越しの一つの応答という意味を持つと思います。

 生田が釜ケ崎で日雇労働運動と野宿者支援運動に関ったのが1986年なのです。『ホットロード』と伴走しているとも言えますね。
紡木たくのプロフィールを調べようと思って検索しても公式ホームページがなかったのでファンサイトをクリックしたら、

1964年8月2日、神奈川県横浜市生まれ。血液型B型。女性。
17歳の時(1982年)、別冊マーガレット3月号「待ち人」にてデビュー。代表作は「ホットロード」「瞬きもせず」
1995年「隆司永遠」を最後に、漫画作品の執筆活動が確認されていない事から、引退したのではとの噂も流れているが、2002年、久々の描きおろしイラストを雑誌とじこみ付録にて発表。引退説を事実上くつがえす活動が確認されました。       

 生田も1964年生まれです。このあたりの年齢の人はマイミクに多いし『ホットロード』をリアルタイムで体験した人がいらっしゃるはずです。でも、暴走族、ヤンキーとは縁のない学園生活を送っていたら、このコミックはアンテナに引っかからなかったかも知れない。でも、マジなラブ・ストリーでもあるわけだし受験勉強の合間にこそっと愛読していたかもしれない。

「おめ―/よ―っ」 「オレがいなきゃ/なんにもできね―/よーな女ん/なるな」 「俺のこと/なんか」 「いつでも/捨てれる/女んなれ」 「そんでも俺が/追っかけてく/よーな女に/なれ」

 16歳の春山が14歳の和希に投げる吹き出しは物語の文脈の中でズボっと嵌っている。書き手が17歳+αなのです。少女コミックの漫画家のデビューは早いですね、今でも40代でしょう。現役でバリバリと活躍していても不思議ではない。生田武志の本書に応答して紡木たくが長編コミックを発表したら素敵なんだがなぁと思いました。
 追伸:kingさんが bk1書評やブログ壁の中で連日、『<野宿者襲撃>論』をあつ〜く語っていますね。
?:過剰適応の症状としての暴力
?:「厳正なる公平性」という不平等
 僕の方はタジタジになりました。
 特に紹介されていた『ホームレス文化』について色々考えさせられました。事実、僕の知人でホームレスになりたい人がいましたが、その一歩が踏み出せないと悩んでいましたね。僕のスタンスはもしこの世の中にホームレスが一人もいない世の中になったら、そちらの方が怖いと言うことです。