2004-11-01から1ヶ月間の記事一覧
私の唯一の意図は、なにかを言うことにあるのではなく、人々になにかについて語りあわせることにあります……なにかのための撮影をすることにあるのではなく、ある一定のやり方で撮影すること自体にあります《なにかのために》ということがあるすれば、それは…
◆11月は学園祭ですね、今日、メールで、京大経済学部の『ガラパゴスプロダクション』から映画談義のイベント案内が来た。これが、びっくりするような組み合わせである。よくぞ、実現できたものだと、思います。学生達に拍手喝采です。中原昌也の格闘技が通…
◆雑誌「新潮」今年の2月号で『1968』の四方田犬彦と 『1972』の坪内祐三が対談しているのですが、渡部直巳の『68年の作家』について触れている。 四方田 あの当時、僕の中にはハイカルチャーとサブカルチャーという区分はなかったです。坪内さん…
◆大塚英志第三回“文学フリマ”“幻視社” このブログでも時々紹介している。⇒『「壁の中」から』のkingさんが仲間と同人誌(画像)を発刊しているのですが、11/14に“文学フリマ”(秋葉原)に出品します。興味のある方は覗いて下さい。そして、お求め下…
7/17に記:斎藤貴男は1958年生のフリージャーナリストで、『機会不平等』、、『非国民のすすめ』、『人を殺せと言われれば殺すのか』とか、タイトルだけでも、興味をそそられるラインナップの本を上梓している。「安心の暴力性」って、森岡正博の『無…
◆山寺のおしょうさんの『方丈』で、『死』をスレに『<死>と<死者>』、『他者と身体』、『「死」後』など、ぼくなりに「死」を立ち位置に「民主主義の欺瞞と虚妄性」が稼動しなくなったブッシュ、反ブッシュというマッピングから第三の道がないかという思…
元社会党委員長でもあった横浜市長の飛鳥田一雄は、市役所の近くにあった便利と良さもあって、よく、k書店に寄ってくれた。腰に手拭いをぶら下げて、市長の振る舞いはナチュラルで、市民の人気は絶大であった。「ぼくは池波正太郎が好きでね」って人懐っこ…
pipi姫さんの『シネマ日記』でシャーロット・グレイの映画評が更新アップされているが、ぼくは近場の女性問題を考えるメセナ会館で鑑賞しました。このメセナグループの映画選定は当たり外れがなく、見終わっていつもアンケートに感謝のコメントを書くの…
木村幹の『朝鮮半島をどう見るか』(集英社新書)を読みました。このブログでも御馴染みのぴぴさんが、bk1にレビューアップしているので、“こちら”を参照してもらいたいですが、ステレオタイプの物言いを忌避する振る舞いはその通りだし、その通りであっ…
さわこさんのコメントの返事をこちらで、『澁澤龍彦メモワール』より書斎の写真を見るとシモン人形ですね。太陽別冊の『澁澤龍彦特集』を持っていたのですが、それには澁澤邸の部屋の様子が写されていたのですが、古本屋さんに売ってしまっていました。だか…
◆「葉っぱがアフォード・阿呆ダンス」の過去ログからですが、“巻き助” さんから、[榎本香菜子の絵]についてコメントが、僕に十年以上前に夭折した人形画家「天野可淡」を思い出しました。彼女の絵に「カタンドール」を観たのか、さっそく、「天野可淡」で検…
澁澤さんが僕の人形を見て、「何でもっとペニスを勃起させないの」と尋ねてきたことがあります。僕としては、ペニスに関しては日常のたらりとした感じがいい、たとえば勃起したペニスはフィニッシュしか連想させず、表現としてはつまらないと思います。−四谷…
鷲田清一『「聴く」ことの力』(TBSブリタニカ p10)のは読んだことがあるのですが、内田樹の『死と身体』(注:先生は講演を頼まれると、演題の指定がない場合、「これで日本は大丈夫?」か「身体論」のどちらかにするらしい。ネットコラムからのものなどを…
9/25記:青木淳悟の第三十五回新潮新人賞受賞作『四十日と四十夜のメルヘン』を読みました。保坂和志氏は本作を絶賛して、“トマス・ピンチョンが現れた!”と、興奮を隠さない選評を新潮’03年11月号に発表しています。 他の選考委員、川上弘美氏は、二…
前日のさわこさんのコメントで、妻夫木聡にリンクして映画「きょうのできごと」(行定勲監督)をオススメしたので、ぼくの旧ブログより、関連データをコピペしました。 保坂和志HPより、『きょうのできごと』の解説文がアップされたので、貼り付けます。メ…
昨日の流れで熊井啓の『愛する(1997)』をレンタルして観ました。記憶が遠くになってしまった浦山桐郎の『私が棄てた女』より、深いところで、身体が震えてしまった。それは三十年という時がぼくをかような映画にシンクロするような感性にいつの間にか…
京橋から大阪城公園でYに会ってIMPで安いサービス・ランチを食べながら、話を日本映画名作鑑賞会『映画に描かれた関西』に振ったのですが、彼は余り興味を示さない。『ジョゼと虎と魚たち』はもう観たし、ぼくの手元にある三枚の葉書に関心を持たない。…
昨日、おしょうさんの山寺に書き込んだことなのですが、ブッシュが大統領に再選されたので、ここにコピペします。 内田樹の『死と身体』(医学書院)なのですが、彼は哲学者としての自分と、武道家としての振る舞いとは不即不離で、そこから世界解釈をしてい…
内田樹さんは格闘家(K-1)の武蔵さんに「リアルファイトの場合、相手から強いパンチを受けたときに身体はどう反応するか?」って訊いたら、その答えが「時間をずらして対処します」、う〜ん、すごい答えです。色々の日常生活の場面で、無意識にぼくたちも…
退屈男さんが、『ジュンク堂新宿店』のネット情報を集めてくれている。かような読書人たちによるパブリシティーは、ネットならでのもので、青山ABCの問題といい、野球での新球団といい、ネットによる力は過小評価できない。ぼくもこうやって、内田樹講演…
コミュニケーションの問題で、話し合えばわかるっていう思い込みがあります。恐らく浅い「ヒューマニズム」の理解はある文明の度量衡を自明の理として了解している。しかし、内田樹の言うレヴィナスの「他者」定義は、他者とは「わたしと度量衡を共有しない…
五千円新札の肖像が“お金が欲しくて堪らなかった”、内田百ケン先生も顔負けの堂々たる借金を重ねて、家族を養い書き続けた誇り高い夭逝の一葉とは、皮肉と言えば皮肉である。でも、女性の肖像がお札になったのは初めて。そのハレの栄誉を受けた基準が、もう…
[…]行政「共同体」、無痛文明「共同体」のための安全安心をこえて、「公共社会」のための安全安心を実現できないかとも望むけれど、自分にそんな力があるのだろうか。―武田徹ブログ11/1より― 武田徹さんのブログも日参しているのですが、『現代思想』と…
ぴぴさんの図書館に寄って、本を借りる。内田樹の新刊を交換っていうわけ。図書館の蔵書ではないのです。梅田ブックファーストの二階の人文に寄ったら、久しぶりにNさんに会った。風邪を引いたとのこと、元気になってなにより、平台一杯に内田樹10点近く…